角牟礼(つのむれ)城 続日本100名城スタンプラリー第五十六回

2023.02.17(金)

今回は大分県玖珠郡玖珠町の角埋山(つのむれやま)の「角牟礼城」です。

 

穴太積みの城 国指定史跡 角牟礼城跡(パンフレットタイトルより)

 

森藩の「日本一小さな城下町」と言われる森町から望む「角牟礼城」

広場とその奥は「森(久留島)陣屋跡」の三島公園

 

玖珠町文化財案内板

角牟礼城跡
 角牟礼城跡は標高五七七メートルで、古くから石垣のある山城として知られている。天然の要害と呼ぶにふさわしく、三方を切り立った険しい岩壁で囲まれている。
 角牟礼城の名が史料に初めて登場するのは、文明七年(一四七五)の志賀親家文書である。その後、天文二年(一五三二)や翌三年には「角牟礼新堀之事」や「角牟礼勤番在城」と出てくるように、角牟礼城は古くから、豊前側からの侵入を防ぐ豊後の境目の城として、玖珠郡衆により守られていた城である。天正十四、十五年(一五八五、八六)の島津氏と大友氏の豊薩戦では、唯一落城しなかった要害堅固の城として有名でもある。
 文禄二年(一五九三)には豊臣秀吉が、文禄の役で失態をおかした大友義統を徐国し、翌年に日田郡に宮木長次、玖珠郡毛利高政を入部させた。慶長元年(一五九六)からは毛利高政が日田・玖珠郡二万石を支配したことが、秀吉の「朱印状」や「黒田家譜」からも知られる。今回発掘調査で発見された門跡や現存する石垣は、この時期に築かれたものと考えられている。従って、この城跡は文禄三年頃、豊後の要の城から、領国支配のための近世城郭へと生まれ変わる時期のものだとみられる。
 そして慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦い後、毛利高政は佐伯城主に転封され、一時黒田孝高の預り地となるが、代わって伊予より来島康親が入部する。しかし、来島は一万四千石の小大名であり、城を持つことは許されず、現在の三島公園に陣屋を築き、山城は「正保の絵図」(一六四四)に古城と書かれているように、そのまま放置され、長い歴史の幕を閉じることになる。
 平成五年から町教委に発掘調査が行われ、本丸に階段状の虎口(出入口)、大手門と搦手門に同じ規模の門跡、また二の丸には礎石建物が発見されている。二つの門には瓦が葺かれていたと考えられている。
   玖珠町教育委員会
   玖珠町文化財調査委員会

                      (三の丸案内版より)

※この案内板以降の現地案内板、最新パンフレットでは

(伝)大手門⇒西門

(伝)搦め手門⇒大手門

(伝)二の丸⇒二の丸曲輪

とされていました。

※来島康親⇒改名前は長親

※来島氏⇒二代通春の時、久留島氏に改めたとの事

 

続100名城スタンプは豊後森藩資料館」でGETしました。

 

平田城」から車でまっすぐ「角牟礼城」へ来ました。

三の丸駐車場

三の丸までは車で上がって来れます。道は狭いですが、対向車さえ来なければそんなに怖くありません。

今回は工事関係の車が数台止まっていました。

三の丸から上がって見る、二の丸の石垣

長い石垣が続いています。

二の丸

 南側と西側に外枡形の虎口があり、同規模の櫓門と思われる礎石が見つかった。
 特に南側虎口は全長100mの石垣があり、穴太積みと呼ばれる初期野面積みが良く残る。   (現地案内版より)

※南側虎口が次の大手門

 

逆くの字に折れて内部に向かいます。

ここを上がった右手が「大手門跡」

大手門跡

 西門跡と同規模の櫓門と考えられる礎石が見つかる。周囲からは瓦片が見つかっている。東側奥には湧水がある。  (現地案内版より)

 

二の丸西曲輪に登る途中で見える石垣(?)

 

二の丸西曲輪の石垣

 

二の丸西曲輪の様子

礎石建物跡が残っているそうです。

 

西の門手前まで来て振り返り

二の丸西曲輪と石垣が見えます。

 

「西門跡」

西門跡

 大手門跡と同規模の櫓門と考えられる礎石と「かんぬき金具」が見つかる。周囲からは瓦片が見つかる。門から外に向かう通路の一部には石垣の石材と思われる石が散乱している。  (現地案内版より)

 

「大手門」と同規模の櫓門だったようです。

西門の下をのぞくと結構急な斜面となっています。

 

工事中で本丸へのルートが変更になっています。

 

重機が通る作業道

注意書きに従い、展望所方向へ迂回します。

 

「角埋神社」

 

展望所はすぐそこ

 

景色の説明板

実際の景色

森藩の日本一小さな城下町が見えます。

 

本丸北側の遊歩道は立ち入り禁止

崖となっている北側が崩れかかっているのかもしれません。

 

「本丸跡」到着。石垣を積み直すようです。

結構大きな重機が来ていてびっくり、道は狭いし遺構をこわなさいように登ってくるのは大変だったと思います。

工事のため「本丸隅櫓跡」は見ることができませんでした。

 

三の丸まで車で上がって来れたので、攻城は比較的楽でした。本来なら麓から歩いて来ると良いと思いますが、つらくてぐれてしまうかも。

 

で、角牟礼城、ミッションコンプリートです。(コジカ)