2024.03.10(日)



串本の民間ロケット
橋杭岩を13時ころ出発して、海岸沿いを走ります。

途中、気になる看板を発見。

よく見るとロケット打ち上げによる交通規制があったようです。

当初の計画では、昨日(3/9)空港からまっすぐ新宮城に向かう案でした。時間的にきびしいかと白浜宿泊に変更しましたが、もしまっすぐ来ていたら交通規制でアウト!だったかな。話題になっていたのにノーマークでした。
このカイロスロケット初号機、2024.03.09の打ち上げは見送り、13日に実施しましたが失敗で自律破壊。残念ですが次に期待します。
(2024.12.18の2号機も残念ながら失敗。2026.03現在、3号機で挑戦中)
※2026.03.05追記 3号機残念でした。
太地町の鯨
13時半、道の駅「たいじ」に到着

「太地は1600年代から始まった古式捕鯨発祥の地」とのこと
古式捕鯨発祥の地・太地
太地は古式捕鯨発祥の地として名高く、当地の豪族、和田家一族の忠兵衛頼元が尾張師崎(知多半島の突端)の漁師・伝次と泉州堺の浪人伊右衛門とともに捕鯨技術の研究を進め、慶長11年(1606年)太地浦を基地として、大々的に突捕り法による捕鯨を始めました。
その後、延宝3年(1675年)和田頼治(のちの太地角右エ門)が網取り法を考案したことによって太地の捕鯨は飛躍的に発展しました。
紀州藩の保護もあって、「捕鯨の本場太地」は天下にその名をとどろかせ、熊野灘の捕鯨は最盛期を迎えました。
しかし、明治に入って西洋式捕鯨法が導入され、鯨の回遊も減少するにつれ太地捕鯨は次第に衰退の途を歩みはじめましたが、「くじらの町」としての在り方はその後も変わらず、古式捕鯨の伝統を受け継ぎながら近海での小型捕鯨が続けられています。
また、南氷洋捕鯨のキャッチャーボートの乗組員として、町から参加する者も多く、優秀な砲手を多数輩出しました。近年、国際捕鯨の規制により、太地の捕鯨も厳しい状況を迎えましたが、今までの歴史・伝統を観光面に生かしながら新しい「くじらの町」として発展しています。
(太地町観光協会HPより)
「くじらの博物館」なども見たいですが、時間がないので(見どころがたくさんあって二泊三日じゃ、足りません)ここではランチだけいただきます。
まずは

くじらスタミナ丼 1000円
もう一つは

鯨のミックス定食 1000円 竜田揚げと鯨コロッケ
くじら、久しぶりに食べました。
ごちそうさまでした。お腹いっぱいです。
時刻は14時半前。
新宮城へ急ぎます。(コジカ)
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