2020.02.19(水)
佐伯(さいき)城 続日本100名城スタンプラリー第三十六回
「佐伯城」は慶長6年(1601)、佐伯へ入部した佐伯藩初代藩主・毛利高政さんが標高144メートルの八幡山に4年の歳月をかけて築いた山城です。
現存、「三の丸櫓門」(県有形文化財) 天保3年(1832)改築
寛永14年(1637)三代藩主・毛利高直さんは三の丸御殿を創建し、藩政の場を山頂から麓の三の丸に移したそうです。
続日本100名城スタンプは、「佐伯市歴史資料館」さんでGETしました。
市営駐車場を挟んで三の丸櫓門が見えます。
大分の旅 3日目
臼杵を出て「佐伯城」にやって来ました。
時刻は15時45分位。
温泉でゆっくりし過ぎたのが響いて、遅くなってしまいました。
「佐伯市歴史資料館」さんの入館は16時30分まで、なんとか間に合いスタンプをGET。でもスタンプだけいただいて、ぐるっと回っただけ。見学時間は10分くらいでした。
さあ、攻城です・・・が忘れていました、ここは山城でした。
山登りが必要です。
時刻は16時を過ぎています。
三の丸櫓門を内部から
山頂のイメージ図がありました。
山頂へは「独歩碑の道」を選択
三の丸から山頂へは3つの登山ルートがありますが、距離はあるけれど比較的なだらかな「独歩碑の道」を行きます。
登ります。
確かにそんなに急ではありませんが、木の根や石がありしっかりした靴でないと歩きづらいです。
九合目広場まで来ました。あと少しです。
本丸外曲輪に到着しました。
時刻は16時22分
正面が国木田独歩さんの「独歩碑」
本丸外曲輪から見る「本丸石垣」
本来、本丸の出入り口は二の丸経由の一カ所だけ。
この大階段は昭和3年(1928)、天守台に「毛利神社」を創建する時に本丸石垣を改変し、新設されたそうです。
ここに三重三階の天守がありましたが、元和3年(1617)の火災で焼失。
以降、再建されませんでした。(詳細は不明とのこと)
一旦、西の丸へ
登山ルート「翠明の道」から上がってきたものとして、撮影再開です。
門の跡から西の丸に入ります。
あがって右手が二の丸方向です。
左手の西の丸の端には二重櫓がありました。
二の丸方向に歩いて、西の丸を振り返り
右手奥が「二重櫓」跡、左手奥に戦争遺跡「大東亜戦争時の機関砲の銃座跡」があるそうです。(気が付きませんでした)
で、左手に登山ルート「翠明の道」からあがる門の跡。
向き直って見る、二の丸虎口(渡櫓と門跡)
狭い通路で守りは堅いです。
御殿のあった二の丸を抜け、本丸へ入る「廊下橋」跡
ここが本丸への唯一の入り口。
当時は廊下橋となっていて、有事の際は橋を落として敵の侵入を阻止できる造りだったそうです。
下から見ると橋の下は堀切になっています。
渡った先の本丸側の通路も狭い狭い。
橋の上で右手下方をみるとここが登山ルート「登城の道」の終点
藩政時代より続く登城路とのこと
本丸にあがり、本丸の入り口を本丸側から
本当に狭いです。
本丸から今度は北の丸を見ます。
手前の石垣は本丸外曲輪の櫓門跡(と思われ)、その先に登山ルート「若宮の道」へ続く「水の手門」跡、そのまた先へ北の丸は続きます。
北の丸へおりて「水の手門」跡を見ます。
ここに続く登山ルート「若宮の道」には、「雌池」、「雄池」という貯水池の現存遺構があるそうです。(三の丸とは山の反対側のルートです)
※2016年9月の台風16号による豪雨で貯水池近辺で土砂崩れが発生したとの情報がありますが、復旧状況は行かなかったのでわかりません。
北の丸の様子
さらに進んで北の丸の突端、二重櫓跡
ここにも二重櫓があったそうです。
突端まできたので引き返します。
「水の手門」跡まで戻り眺める本丸石垣
手前の石垣が本丸外曲輪「櫓門」跡(と思われ)、その向こうに本丸の高石垣。
本丸外曲輪は本丸をぐるっと取り囲んでいます。
左側遠く、柵に囲われているのが「独歩碑」。
駆け足でしたが、山頂部をぐるっと回りました。
時刻は16時45分、山頂滞在時間は20分ほどでした。
「独歩碑の道」をおりて三の丸に戻ります。
そして麓に着いたら、17時を過ぎていました。
昭和45年(1970)に三の丸から市内に移築された、「住吉御殿」(旧三の丸御殿の玄関・広間部分)もまた今度です。
で、「佐伯城」ミッションコンプリートです。
これから由布院の宿に向かいます。(コジカ)
※コメントは現地でいただいた、「城山散策マップ」を参考とさせていただきました。ただし、注記に「市史などから考察し作成しております。想定の箇所もありますこと、ご了承ください」とありました。ご了承ください。