2022.10.17(月)
原爆で倒壊した天守の木造復元計画が進行中!
昭和33年(1958)3月26日に外観復元された天守を見上げる。
日本100名城スタンプは天守閣入口でGETしました。
山城から平城へ!
郡山城から下りてきた毛利輝元公が築いた、平城の広島城にやって来ました。
本丸に残る「大本営跡」
広島大本営跡
明治27年(1894)8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所(あんざいしょ)とされ、ここに大本営が設けられた。
明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみ残されている。
(現地案内版より)
天守礎石
現在の外観復元天守
国宝だった天守は原爆の爆風で倒壊してしまいました。
現在の天守内部
最上階の様子
最上階からの景色
内堀の幅が広いです。
最上階から見下ろす本丸
建物が復元された二の丸に向かいます。
二の丸につながる「本丸中御門跡」が見えてきました。
門を抜けます。
中御門を抜けて振り返り
すっと抜けて来てしまいましたが、中御門の石垣には被爆時の火災の熱による変色が見られるそうです。
また、写真右端にちょこっと見えているのが被爆樹木のひとつの「マルバヤナギ」と思われます。
二の丸につながる土橋上から見る本丸石垣
二の丸復元建物群
「表御門」、「平櫓」、「多聞櫓」と続きます。
櫓門形式の表御門の櫓内部
表御門から見る御門橋
「表御門」から見る「平櫓」、「多聞櫓」、「太鼓櫓」
「平櫓」内部
「多聞櫓」内部
突き当りが「太鼓櫓」となります。
「太鼓櫓」内部
二階は公開されていませんでした。
二の丸を出て三の丸から見る、二の丸復元建物群
手前の橋が「御門橋」
角度を変えて
左から「御門橋」、「表御門」、「平櫓」、「多聞櫓」、「太鼓櫓」
回り込んで見る「太鼓櫓」
三の丸から見る、天守遠景
ちょっとゴジラに似ているかも。
お堀の周りぐるっと一周はまた次回。
まだ時間がかかるかもしれませんが、木造復元天守の完成を待ちたいと思います。
で、広島城、ミッションコンプリートです。(コジカ)