平田城 別名白米城(まつたけじょう) 日本100名城<番外篇>第八回

2023.02.17(金)

今回は大分県中津市耶馬溪町大字平田字町丈の平田城です。

この城の別名は「白米城」と書いて(まつたけじょう)と読むそうです。

 

平田城遠景

東屋の所が、城の「南台」頂上。手前の石橋は中津市指定有形文化財「馬渓橋」

 

現地案内板によると

平田城跡(中津市指定史跡)

 平田城は別名白米城(まつたけじょう)ともいい、建久年間に長岩城主野仲重房が築城したと伝えられています。天正年間には平田掃部介が城番として居城していました。
 天正十五年(一五八七)、黒田官兵衛豊前国六郡を拝領し入国すると、野仲鎮兼(しげかね)はこれに反抗し家臣とともに長岩城に籠りました。黒田勢は長岩城を攻め落とし、官兵衛は戦功のあった栗山備後守利安に野仲氏の旧領六千石を与えました。
 栗山備後は平田城主となり、城を改修、現在もこの時築かれた石垣の一部が残っています。「黒田騒動」で名高い栗山大膳(栗山備後の長子)はこの城で少年期を過ごしています。
               中津市教育員会   (現地案内板より)

 

城跡公園入口

右手が「北台」。とりあえず左手の「南台」に登っていきます。

 

黒田時代の石垣が少し残っています。

 

「南台」の頂上に到着

この石垣は最近の物ですね。

 

結構広い曲輪です。

 

城内図がありました。

今いるのが赤枠の「南台」の頂上。城跡公園となっているのは「南台」側のみのようです。

 

黒田時代の石垣を上から

そんなに高さが無いのは上部が削られたのか、下部が埋まっているのか、もともとなのかよくわかりません。

 

「北台」(左手)「南台」(右手)の間の谷間

「南台」から下りて、谷間を城跡公園入口へ戻ります。

 

「北台」の様子

獣の侵入防止柵に隔てられていて、「北台」には上がれないようです。どこかに開けられる扉があるのでしょうか。

 

「南台」「北台」に比べて若干構造がシンプルに思えます。こっちは物見で「北台」がメインなのでしょうか。

 

城跡公園入口脇の駐車場に戻って来ました。

奥の小屋がトイレです。

 

で、「北台」は見れませんでしたが、平田城ミッションコンプリートです。(コジカ)