2022.04.16(土)
特別公開 大手口多聞櫓、千貫櫓
大阪城の櫓特別公開(大手口多聞櫓、千貫櫓)にやって来ました。
大手口多聞櫓、千貫櫓の見学は西の丸庭園経由となります。
入場料は大人700円です。
大手口多聞櫓
見学ルートは大手口多聞櫓の渡櫓から。
大手口多聞櫓(おおてぐちたもんやぐら)
大手口桝形の石垣の上に建ち、大門(おおもん)の上をまたぐ渡櫓と、その右側に直角に折れて接続する続櫓によって構成されています。徳川幕府による大坂城再築工事によって建てられた創建当初のものは天明3年(1783)の落雷によって全焼しましたが、嘉永元年(1848)に再建され現在に至っています。昭和28年(1953)に重要文化財に指定され、昭和42年から同44年にかけて解体修理が行われました。
(大阪城の櫓特別公開パンフレットより)
スリッパに履き替えて見学開始です。
大門(おおもん)の上に渡された渡櫓内部は広く、思った以上に厚みがあります。
写真はありませんが、ここから大門に寄せる敵に槍を落とす「槍落とし」があります。
渡櫓から続櫓へ向かいます。
笠石(かさいし)とは、石を積み上げた上部に載せる石で大坂城ではここに銃眼を造っています。
武者溜(むしゃだまり)
この部屋は、いざ戦いというときに兵士たちが籠城して寝泊まりするためにつくられたもの。多聞櫓は大手門を防衛する兵士が詰めた。
渡櫓の方から12畳・15畳・9畳・12畳・9畳・9畳と合計6室があり、この部屋は15畳の大きさ。姫路城の女房衆の長局と構造はよく似ているが、こちらは軍事的な実用性が高い。
床にくらべると敷居が高いが、畳が入れられていたかは定かでない。
(武者溜案内版より)
渡櫓に戻って来ました。
千貫櫓
大手口多聞櫓を出て、千貫櫓に向かいます。
千貫櫓(せんがんやぐら)
大手口のすぐ北、西外堀内側の石垣上に建つ2層2階の隅櫓です。創建は徳川幕府による大坂城再築工事が開始された元和6年(1620)で、二の丸北西に建つ乾櫓(いぬいやぐら)と同じく創建以来一度も消失していない大阪城最古の建造物です。昭和28年(1953)に重要文化財に指定され、昭和35年から翌年にかけて解体修理工事が行われました。
(大阪城の櫓特別公開パンフレットより)
大手口を側面から守る重要な櫓です。
内部では火縄銃体験も出来ます。
焔硝蔵
千貫櫓を出て、西の丸庭園内に現存する焔硝蔵へ
焔硝蔵(えんしょうぐら)
焔硝とは黒色火薬のことで、この蔵は火薬庫です。引火防止のため壁・床・天井とも花崗岩の切り石としっくいで固められた頑丈な建物で、こうした構造の焔硝蔵は現存唯一で、貞享2年(1685)築造であることが判明しました。(大阪城の櫓特別公開パンフレットより)
大手口に戻ります。
大手門を出て千貫櫓を見ます。
渡櫓の石垣最上段に見える小さな穴が「笠石銃眼」。外部からは目立ちません。
ということで、大阪城の櫓特別公開、ミッションコンプリートです。(コジカ)
※西の丸庭園では城内から「乾櫓」を見れたのですが、失念しました。
乾櫓の特別公開を期待して、今回はこれで撤収です。
乾櫓(いぬいやぐら)
西の丸の西北(戌亥)(いぬい)隅を守る隅櫓です。元和6年(1620)造営の平面L字型、総二階造り(一階と二階の床面積が同じ)の珍しい櫓で、千貫櫓とともに城内最古の建造物。(大阪城の櫓特別公開パンフレットより)
ご参考:大阪城の記事