大分府内城 日本100名城スタンプラリー第四十九回

2020.02.20(木)

大分府内城 日本100名城スタンプラリー第四十九回

 

今回は大分県大分市「大分府内城」です。

この城の築城は、福原直高さんが秀吉さんの命を受け慶長2年(1597)に着手されたそうです。

その後、竹中重利さんに引き継がれ、本丸、二の丸(東の丸、西の丸)、北の丸、三の丸が慶長7年(1602)に完成したとのこと。

 

西之丸(二之丸)南面、内堀の様子

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手前から

「西之丸西南角二階櫓」、現存「宗門櫓」(半解体修理中)、「多門櫓門(大手門)」、東之丸西南隅櫓「着到櫓」

※現存の「宗門櫓」以外は、昭和20年(1945)大分空襲で焼失、昭和41年(1966)整備

 

日本100名城スタンプは「多門櫓門(大手門)」でGETしました。

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大分の旅 4日目(最終日)

由布院を12時半過ぎに出発して大分市にやって来ました。

大分市役所横の駐車場に車を止め、お城まではすぐです。

時刻は13時45分

 

今回の旅の最後の目的地、攻城開始です。

大手門「多聞櫓門」から入城します。

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「多聞櫓門」と「着到櫓」の間に映画「第9地区」のエイリアンのような骨組みが・・・

 

大手門「多門櫓門」、正面の石垣に鏡石が見えます。

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内堀を渡って門に至るルートはかつては「廊下橋」となっていたそうです。

 

門を入って振り返り

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門を入ったところにある「歴史展示スペース」でパンフレットをいただき、お城の説明を受けました。

 

半解体修理中の「宗門櫓」を内側から(令和2年度完成予定)

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安政地震1854年)で壊れ、安政6年(1859)に再建されたとのこと

奥に「西之丸西南角二階櫓」が見えます。

 

天守台の前で解体を待つ「大分城址公園仮想天守イルミネーション」の骨組み

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東之丸(二之丸)から撮影していますが、この位置には天守をひとつの角にした四角い天守丸」があり高石垣に囲まれていました。

その手前には「内々掘」があり、本丸と二之丸(西之丸、東之丸)を隔てていました。

 

大正8年(1919)県庁舎建設のため、本丸の石垣は破壊され、内々堀も埋められてしまったそうです。

現在は、本丸、二之丸(西之丸、東之丸)の境は無く、大きな広場となっています。

 

 

 

東之丸(二之丸)を回ります。

 

内側から見る、東之丸西南隅櫓「着到櫓」

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櫓台の天面は建物の平面より狭いみたいです。

 

 

東之丸東南隅櫓を内側から 

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この櫓も昭和41年(1966)に整備されたもの。

ただしこれは模擬櫓で資料では平櫓となっています。

 

東之丸東北隅櫓を内側から

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この櫓も昭和41年(1966)に整備されたもの。

資料上も二階櫓となっています。

 

本丸北側に入り、現存「人質櫓」を内側から

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ここは天守台の北側になります。

 

北側からみる天守

 

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この上には4層の天守がありましたが、寛保3年(1743)の大火で焼失し、再建されることはありませんでした。

 

天守台に登ります。

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天守には直接入れない作りなので階段が設置されています。

 

踊り場で天守から西につながる本丸櫓台を見ます。

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これが天守丸の北側の一辺のなごりと思われます。

いちばん端の二階櫓台まで続きます。

 

天守台から見る、東之丸(二之丸)

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本丸との境はありませんが、左から「東之丸東北隅櫓」、「東之丸東南隅櫓」

「東之丸東南隅櫓」の向かって左側に「三階櫓」があったそうです。

 

カメラを右にパンして、天守台から西之丸(二ノ丸)をみます。

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左から「多門櫓門」、「宗門櫓」、「西之丸西南角二階櫓」

本来なら天守台から「仮想天守」の方向へ天守丸の高石垣が続いていました。

 

平成25年(2013)、西之丸にあった「大分市民文化会館」が解体され空き地となっています。

 

カメラをもっと右へパンして西之丸と北之丸をつなぐ「廊下橋」を見ます。

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更に右にパンして天守台北側の現存「人質櫓」を見ます。

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天守台をおりて西之丸と山里丸(北之丸の一部)を結ぶ、「廊下橋」へ向かいます。

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桝形の石垣越しに見る「廊下橋」

 

「廊下橋」から見る「人質櫓」

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右手の天守台に続く石垣が「天守丸」北面となります。

 

お堀に沿った天守台の下に築城時に人柱となったお宮さんを祀った祠があり、毎年3月18日に法要が行われているそうです。

 

「廊下橋」を渡って振り返り

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この廊下橋は平成8年(1996)に復元されました。

山里丸(北之丸の一部)からみる「人質櫓」

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この櫓は幕末の文久元年(1861)に再建されたものだそうです。

 

帯曲輪へ出てお城の北側から東側をみます。

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逆光で見づらいですが、右から「人質櫓」、その左の角は「扇櫓台」(平櫓)、その次の角は「菱櫓台」(平櫓)、そこからまっすぐ行った突当に「水の手口跡」、右端は東之丸東北隅櫓。

かつて存在した「水の手口」は小舟で内堀を渡る緊急避難路だったそうで、寛保の大火(1743)のとき役に立ったそうです。

 

 

東之丸東北隅櫓

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東之丸東南角

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右端の石垣の張り出しが「三階櫓台」、隣が模擬櫓の「東之丸東南隅櫓」、左後方に続くのは東之丸西南隅櫓「着到櫓」

「三階櫓」は城内から見ると天守と同じ4層の櫓で天守の次に大きな櫓だったそうです。しかしこの櫓も寛保の大火(1743)で焼失し再建されませんでした。

 

これで北ノ丸から出て帯曲輪をぐるっと回って大手門に戻って来ました。

 

で、大分府内城ミッションコンプリートです。

 

西之丸にあった大分市民文化会館が解体されてフリーとなった府内城、内々掘と本丸の石垣が再建されることを期待します。

そして天守も!

 

この後は空港に戻り、東京に帰ります。(コジカ)

 

※コメントは現地で頂いたパンフレットの「府内城跡」、「府内城ウォーキングマップ」そして「府内城絵巻」を参考とさせていただきました。