彦根城 日本100名城スタンプラリー第五十一回

2020.10.19(月)

 

彦根城 日本100名城スタンプラリー第五十一回

 

今回は滋賀県彦根市の「彦根城」。

国宝天守が残る、彦根藩井伊家の本拠地です。

 

国宝「彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 」

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日本100名城スタンプは、彦根城の佐和口多聞櫓を再現した「開国記念館」でGETしました。

 

2020秋 名古屋宿泊の旅 二日目

名古屋からJRで彦根にやってきました。

 

JR彦根駅から見える彦根城

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駅からお城は目と鼻の先

 

案内図がありました。

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中堀の向こうに見える二の丸の「佐和口多門櫓」(重要文化財

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左後方は「天秤櫓」、最上段に国宝天守

彦根キャッスルリゾート&スパ」さん前からの撮影

 

 

奥が「佐和口多門櫓」(重要文化財)、手前が佐和口多聞櫓を再現した「開国記念館」

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現存する奥の櫓は明和8年(1771年)に再建されたもの。
手前は昭和35年(1960年)に再建された「開国記念館」。

 

もう少し右側をみます。

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日本100名城スタンプはこの「開国記念館」でGETしました。 

 

佐和口から二の丸に入ります。

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かつては手前に高麗門があり、桝形を右に折れたところに二重二階渡櫓門があって左右の多門櫓は一体となっていました。

 

内堀に架かる表御門橋と表御門跡

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門を入ると「表御殿」を復元した「彦根城博物館」があります。

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 彦根城博物館は、昭和62年(1987)2月、彦根市の市制50周年を記念して、彦根城表御殿跡地にその復元を兼ねて建てられた博物館です。


展示・収蔵スペースは鉄筋コンクリート造で外観を復元し、藩主の居室であった「奥向き」空間は、伝統的な木造建築で昔ながらに再現しました。

彦根城博物館HPより抜粋)

 

御座之御間

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庭園

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表御殿を出てチケットを切っていただき、「表門山道」を登ります。

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結構、急勾配です。

 

登り詰めると「天秤櫓」(重要文化財)下の大堀切です。

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橋の下をくぐり反対側へ

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広角レンズがないと全景を治めるのは厳しいです。

 

鐘の丸にあがって橋を渡ります。

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映画やTVでたびたびロケ地となるこの「天秤櫓」、よく見ると左右対称と言うわけではありません。

天秤櫓が築かれるのは、築城の開始から数年後と考えられています。彦根藩主井伊家の家譜である『井伊年譜』には、この櫓が長浜城の大手門を移築したものであると記されています。

昭和30年代の解体修理では、移築された建物であることは確認されていますが、天秤櫓の前身が『井伊年譜』の記載どおり長浜城大手門と断定するには至っていません。
(国宝・彦根城築城410年祭 2017.03.18~12.10 HPより)

 

天秤櫓内部

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内部見学可能です。

 

「天秤櫓」から渡ってきた橋を見ます。

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奥が「鐘の丸」です。

 

「天秤櫓」から佐和山城を望む

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関ケ原合戦の論功行賞で石田三成さんの旧領と佐和山城を拝領した井伊家は、ここ彦根山に城を築いて引っ越してきました。

 

「天秤櫓」を出て太鼓丸を登ります。振り返ってパチリ

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本丸への最後の関門、「太鼓門」へ

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「太鼓門および続櫓」も重要文化財です。

長い間、太鼓門櫓は、彦根城築城以前に彦根山の山上にあった、彦根寺の山門を移築したものと考えられてきました。
ところがこの説は、昭和31年から32年にかけて行われた太鼓門櫓の解体修理工事によって否定されました。解体修理に伴って実施された建物部材調査により、移築前の建物も、どこかの城の城門であったことが判明したのです。しかも、かつての城門は規模が大きく、それを縮小して今日の太鼓門櫓としていました。ただ、それがどちらの城の城門だったのかは、今も謎のままです。

(国宝・彦根城築城410年祭 2017.03.18~12.10 HPより)

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つい最近みた映画「天外者(てんがらもん)」で、設定は鹿児島城でこの門の前のシーンがありました。(たぶん・・・ですが)

 

くぐって本丸へ

国宝「彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 」

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昭和32年から35年にかけて行われた解体修理により、慶長11年(1606)の墨書のある建築材が発見されたことと、その他の史料の情報を総合的に判断して、天守の完成が慶長12年(1607)ころであると推定しています。
また、建築材を克明に調査した結果、もともと5階4重の旧天守を移築したものであることも分かりました。彦根藩主井伊家の歴史を記した『井伊年譜』には、「天守は京極家の大津城の殿守也」とあり、彦根城天守が大津城(大津市)の天守を移築した可能性が考えられています。

(国宝・彦根城築城410年祭 2017.03.18~12.10 HPより)

天守内部

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写真はありませんが天守の階段は非常に急勾配!

階段と言うよりは梯子です。

 

天守の脇を抜けて「西の丸」へ

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突き当りに残る「西の丸三重櫓及び続櫓」(重要文化財

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三重櫓には天守のように装飾的な破風(はふ)などはありませんが、櫓全体を総漆喰塗りとし簡素な中にも気品のある櫓となっています。この建物は浅井長政の居城であった小谷城天守を移築したとの伝えもありますが、昭和30年代に行われた解体修理では、そうした痕跡は確認されませんでした。 

(国宝・彦根城築城410年祭 2017.03.18~12.10 HPより)

 

三重櫓内部

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二階へ

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二階

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三階

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三階から見る北側の景色。遠景は琵琶湖です。

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手前の大堀切(写っていませんが)の向こうの「出曲輪」。

そこから山を下る「山崎山道」、観音台を経て突端の「山崎曲輪」

 

「山崎曲輪」を望遠で

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古写真を見ると、赤枠の辺りの隅にもう一つの三重櫓「山崎曲輪三重櫓」が続櫓を伴って建っていたようです。

西の丸三重櫓を出て、大堀切を渡り出曲輪へ・・と思ったのですが

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そちらのルートは通行止めです。

 

天守まで戻って天守脇を抜け

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「井戸曲輪」を通り「黒門山道」を下りていきます。

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「井戸曲輪」の石垣

後方は本丸の石垣で左端が「着見櫓台」

 

「黒御門」まで下りて来ました。

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「黒御門」を出て内堀に架かる「黒御門橋」から北側を見ます。

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橋を渡った先は「楽々園」

 

「黒御門橋」を渡って振り返り

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古写真を見ると櫓門の中央が二重になっている珍しい形式の門だったようです。

 

「楽々園」と「玄宮園」をくるっと回り、北の「山崎曲輪」方向へ向かいます。

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歩いているこの辺りは、旧松原内湖(琵琶湖)で昔は水の中です。

今は埋め立てられていますが、「楽々園」、「玄宮園」の向こうは琵琶湖でした。

 

北側の突端「山崎曲輪」を北側より

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写真を撮っているこの場所も琵琶湖だったようです。

 

西に回り込んで見る「山崎曲輪」の北面

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右手前の張り出している部分から右に続く部分が「山崎曲輪三重櫓」があった辺りと思われます。

 

西側に回り込んで見える「西の丸三重櫓」

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ぐるっと西側を回ってきて、見る中堀と二の丸の外側

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城町二丁目東の交差点辺りからの景色

 

そこから左にパンして船町口方向を見ます。

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左端が船町口です。

 

「船町口」から二の丸に入ります。

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左手は滋賀大学です。

 

内堀沿いを歩いて大手御門へ向かうと途中で見上げる天守

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「大手御門」と「大手御門橋」が見えてきました。

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これでぐるっとお城をだいたい一周してきました。

12時に駅についてお昼も省略して見学してきましたが、もう16時を過ぎました。

「山崎曲輪」内部や二の丸の「京橋口」、重要文化財「馬屋」など回り切れないところがありますが、今回はここまで。

 

彦根城、ミッションコンプリートです。

名古屋の宿に帰ります。(コジカ)

 

※文中のコメントは、「現地でいただいたパンフレット」、「国宝・彦根城築城410年祭 2017.03.18~12.10 HP」、「彦根観光ガイドHP」、「彦根城博物館HP」、書籍「レンズが撮らえた 幕末日本の城」を参考とさせていただきました。