現在の天守は三代目。1931年(昭和6年)にコンクリートで復興されました。
初代の秀吉さんの天守は1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で落城の際、炎上。二代目の徳川さんの天守は1665年(寛文5年)、落雷によって焼失。以後は天守は再建されませんでした。
100名城スタンプは天守内1FのインフォメーションでGETしました。
二泊三日の関西遠征3日目(最終日)、最後の目的地は大坂城です。
太陽の塔をコンプリートして、真っすぐ大坂城へ向かいます。
万博記念公園から大阪モノレール、阪急京都本線、阪急千里線~大阪メトロ堺筋線、JR東西線を乗り継いで
大阪城北詰駅へ到着!
そこから大阪ビジネスパークまで歩き、お好み焼きで腹ごしらえ!
万博記念公園から大阪モノレール、阪急京都本線、阪急千里線~大阪メトロ堺筋線、JR東西線を乗り継いで
大阪城北詰駅へ到着!
そこから大阪ビジネスパークまで歩き、お好み焼きで腹ごしらえ!
いよいよ大坂城へ
この日は暖かく、コートを着ていると暑いです。
そのせいか、お堀のそばでは沢山の蚊柱が立っています。間違って吸い込まないように注意して歩きます。
そのせいか、お堀のそばでは沢山の蚊柱が立っています。間違って吸い込まないように注意して歩きます。
鳥羽伏見の戦いのどさくさで焼けてしまった大坂城
鳥羽伏見の戦いで幕府軍がお城を捨ててしまったので、反乱軍が入城する前後で一般の方が入り込んだり、略奪があったりして混乱状態になりなんだか焼けてしまったそうです。
↓二ノ丸から見た本丸東側の高石垣と内堀。幕末まで三重櫓が立ち並んでいました。(幕末の古写真で威容が確認できます)
↓玉造口から外に出て、南外堀と二ノ丸に現存する一番櫓を確認します。
↓二ノ丸南面の石垣と南外堀、現存の六番櫓を見ます。
↓石垣も美しいです。六番櫓を西側から見た図
↓大手門と千貫櫓を眺める。
↓現存する乾櫓と西の丸を囲う西外堀、右手に千貫櫓と大手門
乾櫓は変わった形をしています。
↓乾櫓、西の丸北面、奥に京橋口を眺める。空襲が無ければ京橋口の向こうに大きな三重櫓の伏見櫓が見えたはずです。
乾櫓は変わった形をしています。
↓乾櫓、西の丸北面、奥に京橋口を眺める。空襲が無ければ京橋口の向こうに大きな三重櫓の伏見櫓が見えたはずです。
将軍慶喜様、この城で勝てると思わなかったのですか
この巨大で堅固な城跡に立つと何故この城を捨ててしまったのかと不思議に思います。この城で反乱軍を迎え撃てば負けないのでは?と感じます。
でも時代の流れなんでしょうね。
で、ミッションコンプリートです。
これで東京に帰ります。(コジカ)