2021.11.08(月)
浅井氏三代(亮政、久政、長政)の居城であった小谷城、標高495mの小谷山に築城された中世山城です。
1573年(天正元年)織田信長さんとの戦いに敗れ、浅井長政さんは自刃し落城。浅井氏の旧領を引き継いだ秀吉さんは長浜城を築き拠点としたため、小谷城は廃城となりました。
落城前に長政さんが正室お市さん、娘の三姉妹(茶々・江・初)を信長さんのもとに送ったという話は有名です。
黒金御門手前、首据石のそばからの景色
中央奥が1570年(元亀元年)の「姉川の合戦」の古戦場、左奥が伊吹山
日本100名城スタンプは「小谷城戦国歴史資料館」でGETしました。
小谷城戦国歴史資料館そばの追手道入り口
ここから徒歩で上がるべきですが、もう16時で時間が無いため車で番所近くまで上がります。
番所手前の案内版
ここで16時20分、時間制限はありませんが頂上まで行くと真暗になってしまうので、今回は本丸を目標とします。
「番所跡」からスタートです。
城郭主要部への入り口であり、検問所がありました。
熊に遭遇しないことを祈りながら山道を登ります。
「御茶屋跡」
番所跡のすぐ上にある曲輪で、主郭の最先端に位置する。比較的広く、曲輪の真ん中に前後に分ける低い土塁が見られる。「御茶屋」という風雅な名前には似つかない軍事施設である。
「御馬屋跡」の入り口にある「馬洗池跡」
「首据石」
1533年(天分二年)六角氏に内通したかどで殺害した、今井秀信の首をさらしたと言われる石
「赤尾屋敷」への別れ道
まっすぐは黒金御門、右手が赤尾屋敷への道。赤尾屋敷は1573年(天正元年)9月1日、浅井長政さんが29歳の若さで自刃した地とのこと。(今回は見学見送り)
黒金御門手前の「桜馬場」の説明板
「桜馬場」
見逃しましたが「小谷城随一のパノラマがひろがる」という琵琶湖を望む展望台とのこと。(急いでいて気づきませんでした)
「黒金御門跡」
大広間の入り口となる重要な門
「本丸」と「大広間」の説明板
黒金御門から「大広間跡」に入ります。
別名千畳敷とも呼ばれる、小谷城最大の曲輪跡。突き当りが本丸跡
大広間跡から見る「本丸跡」
南側に石垣が残っています。
「本丸跡」内部
天守など、城の中心となる建物があったと推定されています。
「本丸跡」から見下ろす「大広間跡」
本丸北側の「大堀切跡」
左手が「中丸跡」、右手は「本丸跡」
「中丸跡」を見上げる。
本丸跡までと登ってきましたが、もう少しだけ行きます。
「中丸」の説明板
「中丸跡」の三段目(二段目?)から振り返り、本丸方向を見る。
この時点で16時45分、攻城はここまで。戻ります。
戻り道からびわ湖をバックに「虎御前山」を見ます。
虎御前山は小谷城攻めの時、信長さんが陣を張った山とのこと。
攻城時間は約30分。
ほんの一部でしたが、小谷城ミッションコンプリートです。(コジカ)
※小谷城戦国歴史資料館でいただいたパンフレットを参考とさせていただきました。