2021.11.14(日)
喰違御門跡を城外から。ここは門というより木戸だったそうです。
説明板に絵が載っていました。
この絵では「喰違外」となっています。
説明板
喰違木戸跡
喰違木戸は、1612年(慶長17年)に旧武田家臣の小幡景憲によって縄張りされたと伝えられます。門からつながる土橋は、現在の紀尾井町と港区の元赤坂を結んでいます。
通常、江戸城の城門は、桝形門と呼ばれる石垣を巡らした形ですが、ここは土塁を前後に延ばして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入口)構造となり、門ではなく木戸が設けられていました。この地は、二つの谷に挟まれた高台で、江戸城西側の防御の要として構築されたと考えられます。現在は、一部土塁が削り取られているものの、その形状は保存されており、往時の様子を留めています。
1636年(寛永13年)には、江戸城内郭と城下を取り巻くように外堀工事が行われ、その全長は14kmに及んでいます。このうち約4kmの範囲が、1956年(昭和31年)3月26日に、江戸城外堀跡として国指定史跡になっています。(説明板より)
この説明板では「喰違木戸」となっています。
呼称はいろいろのようです。
「四谷御門」から「喰違御門」へ
14時近くなってしまったので、四谷御門城外へ出て遅いお昼を探します。
時間も微妙でしたが、なんとか開いているお店を発見!
「軍鶏一・四谷店」さん
せっかくなので「特上親子丼」(1500円)にします。
立派な親子丼でした(たぶん軍鶏だったと思います)
ごちそうさまでした。
「迎賓館赤坂離宮」
四谷御門から喰違御門の城外にある迎賓館に寄ってみます。
主庭の噴水(国宝)
迎賓館は初めてです。セキュリティチェックが空港並みに厳しくコロナの件もあり、入館にかなり時間がかかりました。
主庭からみる本館
今回は時間が無く建物内部の見学は見送り、お庭だけを見学させていただきます。
前庭からみる本館
国宝のこの本館、次回は内部も見学させていただこうと思います。
迎賓館を出て外堀通りを喰違御門へ向かいます。
右手が迎賓館、左手が真田濠になります。
真田濠越しに見る、喰違御門城内のホテルニューオータニ
ホテルニューオータニの敷地は紀尾井町の「井」、井伊家の中屋敷跡地です。
迎賓館東門
紀州徳川家中屋敷表門が移築されて東門となっている(そうです)
喰違土橋から見る、真田濠
真田信之が築き、外堀で一番高い場所という「真田濠」ですが、今は埋め立てられ上智大学の運動場となっています。
「喰違御門」到着です。(最初の写真)
喰違御門から城外を見る。
ここは井伊家にとってちょうど良い出入口だったのではないでしょうか。ホテルニューオータニからは四谷御門も赤坂御門もちょっと遠くて、喰違御門がないと不便かな?
で、喰違御門、ミッションコンプリートです。
次回は赤坂御門に向かいます。(コジカ)