2020.10.15(木)
石垣山城 続日本100名城スタンプラリー第三十九回
今回は神奈川県小田原市早川の陣城、石垣山城です。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉さんが北条攻めの小田原合戦で笠懸山に築いたのがこの城。
4月から6月にかけて約80日間で造られたそうです。
総石垣の城であったことから「石垣山城」と呼ばれ、笠懸山も「石垣山」とも呼ばれるようになりました。
また、一夜で本格的な城が出現したかのように見せて、北条方の士気を失わせたという「一夜城伝説」があり「石垣山一夜城」とも呼ばれています。
「南曲輪」の石垣
続日本100名城スタンプは、駐車場のトイレ前でGETしました。
小田原の旅 初日
久しぶりに旅に出て、スタンプラリー再開です。
東京から車で石垣山城迄、まっすぐにやって来ました。
小雨がパラつくあいにくの天気ですが、傘をもって攻城開始です。
登り口から見て左側が「南曲輪」
この南曲輪の石垣は良く残っていますが、役目を終えた城は「城割り」という城の一部を壊す作法があるそうで、ここも石垣の隅などが崩されています。
同じ秀吉さんの城、佐賀県の名護屋城も同じ様に崩されていました。
なお大正12年(1923年)の関東大震災で石垣はおおきな被害を受けたとのことです。
案内版によると縄張りはこんな感じ。(朱書追記:コジカ)
上の写真の登り口から虎口と思われるところを上がっていきます。左手は「南曲輪」。
崩れた(崩された?)石が転がっていて歩きづらいです。
登って「南曲輪」から見る景色(駐車場、相模湾)
「南曲輪」からさらに登って振り返り。写真左から虎口を登って来ました。
「南腰曲輪」に登り、まずは左手の「西曲輪」へ向かいます。
「西曲輪」、右手奥が天守台
「西曲輪」から天守台を見上げます。
「南腰曲輪」に戻り、本丸に上がります。
「本丸(本城曲輪)」の様子。奥が天守台
天守がどんなものか、そもそも存在したのか詳細は不明とのこと。
天守台から見た「本丸」
見下ろす先、左側に小田原城が見えます。
望遠にしてみるとこんな感じ
「本丸」から「二の丸」を見ます。
本丸石垣の様子
「井戸曲輪」に降りてみます。
重要なポイントなので頑丈な石垣に守られています。
攻城はここまで、登口に戻ります。
戻り道でみる二ノ丸東側の石垣
この道は管理用で車が通れる道となっています。
秀吉さんはこの城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼んで茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしたそうです。
関白秀吉さん余裕の小田原攻めだったんですね。
ということで「石垣山城」ミッションコンプリートです。
今日はここまで、ホテルに向かいます。(コジカ)
石垣山城に関するコメントは、現地案内版、現地でいただいたパンフレット「石垣山一夜城」を参考とさせていただきました。