2020.10.25(日)
「のぼうの城」としても有名なこのお城、1590年(天正18年)豊臣秀吉の関東平定に際して、石田三成らによる水攻めにも果敢に耐えたことから「浮き城」の別名が生まれたそうです。
当時の面影を伝える「本丸の土塁」
続100名城スタンプは、本丸跡に建つ「行田市郷土博物館」でGETしました。
行田市へ
ふと思い立ち、車で忍城に行くことにしました。
第一駐車場の側に案内版がありました。
広大な沼地の島々をつなげて造られた「忍城」
残っているのは本丸の土塁の一部と水城公園に「浮き城」の名残が見られるようです。
駐車場から博物館へ向かう道の脇が本丸の土塁です。
少し進んで振返り
本丸に移築された伝「進修館」表門
戦災によって一度移築されていることなどから、藩校「進修館」の門であるのかは確定していませんが、現存する行田市唯一の武家屋敷の表門として貴重な歴史的建造物であると言えます。(案内版より)
本丸に入り、博物館へ向かう順路に建つ高麗門
特に案内は無かったのでどこの門かは不明
「行田市郷土博物館」を見学し、続100名城スタンプをGETします。
本丸跡に建てられた「忍城の鐘」
もとは二の丸にあった時鐘を再現したもののようです。
松平氏が桑名から持ってきたという鐘自体は本物が「行田市郷土博物館」にあります。
敷地の外に出てみます。
お城らしい景色(模擬櫓と再建された堀に架かる再建「あずま橋」、「東門」)
本丸には櫓などは特になかったようです。
昭和の時代、本丸は一部の土塁を残して土塁は崩され、堀も埋められて平地とされ「本丸球場」が建てられていました。
その後、行田市郷土博物館が1988年(昭和63年)2月開業したそうです。
忍城三階櫓
三階櫓は違う場所にありましたが、行田市郷土博物館の一部として本丸跡地に再建されました。
時刻は16時を過ぎました、遅くなったので水城公園や石田三成さんが忍城水攻めのために築いた石田堤もまた次回です。
で、忍城ミッションコンプリートです。(コジカ)