徳島城 日本100名城スタンプラリー第四十回

2019.07.12(金)

徳島城 日本100名城スタンプラリー第四十回

 

今回は、徳島県徳島市徳島町徳島城です。

羽柴(豊臣)秀吉さんが四国を平定した天正13年(1585年)、17万6千石の領主として阿波に入国したのが蜂須賀家政さん。

家政さんは、当初長宗我部軍が籠城していた「一宮城」徳島市一宮町)を居城としましたが、秀吉さんの指示により海上交通の便に恵まれた渭津(のちに徳島に改称)を城地として築城に着手したそうです。(パンフレットより)

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徳島城のシンボル「鷲の門」

徳島城の表門で脇戸付の薬医門

昭和20年(1945年)7月の徳島大空襲で惜しくも消失してしまいましたが、平成元年(1989年)に復元されました。

古写真では、堀川を挟んで「月見(着見)櫓」が見えます。

 

 

100名城スタンプは、城内の徳島市徳島城博物館」でGETしました。

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徳島、淡路をぐーるぐる!

今回は徳島、淡路遠征です。

プランは飛行機往復の2泊3日としました。

羽田8:55発のANA281便で徳島到着は10:10です。

徳島阿波おどり空港でレンタカーを借りて、早速徳島城へ向かいます。

 

空港からお城までは約13キロ、マップアプリで23分!

11:15にはお城(徳島中央公園)の東側駐車場に到着です。

バラ園を抜けて、攻城開始です。

 

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堀川(東内堀)に架かる数寄屋橋」と「数寄屋門跡」

お城の鬼門(北東)にあたる門で「旗櫓」の下にありました。別名「不明門」ともよばれ凶事の時以外は開かれなかったそうです。

 

 

 

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堀川と「月見(着見)櫓台」、奥に数寄屋橋

月見櫓は出窓付き二階建入母屋屋根でした。古写真があるので復元出来たらお城の顔となりますね。

堀川は城の東を守るために設けられた人工の堀。

城は北側の助任川、南西の寺島川(今はJRの線路)とこの堀川で守られていました。

 

城山へ

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ひつじさんには博物館で待っててもらい、標高61.7mの城山を登ります。

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けっこう高い山です。

 

 

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中腹にある「東二の丸」

ここに天守代用の「御三階櫓」がありましたが、1873年明治6年)の廃城令で撤去されてしまいました。(明治8年頃?)

 

 

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山頂、本丸東側の石垣

この辺りの石垣が一番古いそうです。

 

 

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山頂の本丸

けっこう広いです。

 

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本丸から西二の丸に向かうルートで本丸を振り返ってみたところ!

右手の石垣は「弓櫓台」(とおもわれ)。ここは城内最大の櫓台で、ここに初期の天守が置かれていたとも考えられているそうです。

 

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西二の丸の西二の丸門跡、右手は帳櫓台

 

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西二の丸門を出て、振り返り。左手が「帳櫓台」

そして西三の丸を抜けて山を下ります。

 

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跨線橋から見た、城の西南を守った「寺島川」跡のJR線路

右手が城山、奥左がJR徳島駅です。

 

で、ぐるっとまわってミッションコンプリートです。

 

ここで12:30!

お昼を食べて次の目的地「勝瑞城」へ向かいます。(コジカ)