二条城 日本100名城スタンプラリー第五十回

2020.02.22(土)

 

二条城 日本100名城スタンプラリー第五十回

 

前半戦の「取り」となる今回は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町の「二条城」です。

現在の正式名称は「元離宮二条城」

 

二条城とは

二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめたものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは日本史上あまりにも有名です。

世界遺産 元離宮二条城 HPより)

 

「東南隅櫓」と「東大手門」と外堀

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50個目の日本100名城スタンプは・・・・どこでGETしたのか記憶があいまいです。ネットでは「大休憩所」にあるとのことですが行った記憶がありません。

 

2020冬・関西の旅

東京の品川駅から新幹線に乗り、京都にやって来ました。

京都駅でランチを食べ、地下鉄で二条城へ

 

時刻は14時半。

 

東大手門」から入城します。

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この門は寛文2年(1662年)頃の建築と考えられているそうです。

天気はあまり良くありません。

 

「東南隅櫓」を内部から

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内側はのっぺらぼうです。

 

二の丸御殿の正門にあたる「唐門」

 

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 人が入らないように撮るのは難しいです。

 

平成25年(2013年)の修復工事により、豪華絢爛な極彩色の彫刻が往時の姿によみがえりました。

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国宝「二の丸御殿」

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御殿内部は撮影不可

 

ここに入ると失礼ながら慶喜公を身近に感じられる気がします。

歴史上の大舞台が現存しているのは凄いことです。

 

 

「二の丸御殿」は6棟からなる現存御殿建築。

他に現存する御殿は、「掛川城二の丸御殿」、「高知城本丸御殿」、「川越城本丸御殿」しかありません。(部分的に移築現存はありますが)

 

二条城の門や櫓など22棟は重要文化財です。

 

二の丸庭園と御殿

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寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸のために小堀遠州さんのもとで改修されたものだそうです。

 

本丸に向かいます。

 

本丸への入り口、「東橋」と「本丸櫓門(本丸東櫓門)」

 

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かつては二の丸御殿から本丸御殿までをつなぐ、二階建ての廊下橋となっていて、天皇が地面に降りずに本丸に渡ることができる構造だったそうです。

 

この門は本丸唯一の現存遺構で二階廊下は一部部材が保存されており、復元の計画もあるそうです。(ネットでは計画を発見できませんでしたが)

 

東橋から右手(北方向)の内堀と本丸石垣を見る

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右手奥に見えるのは「鳴子門」

 

東橋から左手(南方向)の内堀と本丸石垣を見る

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奥に見えるのは「桃山門」

 

本丸に入って「本丸櫓門」を振り返り

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櫓門がのっぺらぼうなのは、そこに通路が通っていてそれを塞いだからでしょうか。

どんな構造だったのか見てみたいです。

 

本丸の西南隅にある「天守台」にあがります。

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ここにはかつて伏見城から移されたという5重6階の天守がありましたが、寛延3年(1750年)落雷により焼失し、以後再建されていません。

この天守寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸のための城地の拡張、行幸御殿、本丸御殿の造営と合わせて移築されたものだそうです。

 

初代(創設時)の5重天守大和郡山城から移築されたと伝えられ、違う場所にあったそうです。

 

一国一城令で廃城となった伏見城天守は、もともとは淀城に移築される予定でしたが、急遽二条城に移されることになり、二条城にあった初代天守は淀城に移築されたそうです。

結果、大和郡山城の天守は二条城を経て淀城へ移築されたとなります。

 

この移築説は建築学上否定的でしたが、近年の大和郡山城の発掘調査ではその説が事実と確認されたそうです。

(その淀城の天守は図面が残っているので復元が可能とのこと)

 

天守台から見る本丸(本丸御殿は保存修理工事中)

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 もともとの本丸御殿は、天明8年(1788年)の大火の際に隅櫓などと共に消失。

現在の本丸御殿は、明治26年(1893年)京都御所の北東部にあった「桂宮御殿」を移築したもの。貴重な宮家の御殿として重要文化財に指定されています。

 

天守台から見る「西南隅櫓」と「西南土蔵」

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天守台を下りて、西側から本丸を出ます。

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 本丸を出て「西橋」から見る本丸石垣と天守

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南側から見る天守台 左奥は「西橋」

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かなり大きな天守台です。伏見城天守を移築する予定だった淀城では、このサイズで天守台を準備していたようです。しかし、初代の二条城天守大和郡山城から移築か?)を持ってきたらかなり小ぶりでスペースが余ってしまったそうです。

 

内側から見る「西南隅櫓」

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外堀の四隅にあった隅櫓のうち現存するのは「東南隅櫓」「西南隅櫓」のみ、天明8年(1788年)の大火で多くの建物が失われました。

 

東大手門へ戻ります。

 

 梅林を抜けて「南中仕切門」

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くぐって振り返り

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本丸の入り口「本丸櫓門」遠景、右手奥は「鳴子門」

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二階建ての廊下橋、どんな形なのか復元が楽しみです。

実現するといいなぁ。

 

「桃山門」

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「南門」

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この門はもとからあったものではなく、大正4年(1915年)に大正天皇の大典に備え新たに造られたもの。

 

東大手門に戻って来ました。

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ここで時刻は15時53分、二の丸御殿ご観覧の方はお急ぎくださいのアナウンスが流れます。

 

北側には回らず、外堀一周も今回は見送りました。

で、「二条城」ミッションコンプリートです。

 

徳川将軍の城、二条城ですが、年表をみると3代家光さんの後は幕末まで将軍の入城はありません。

文久3年(1863年)14代家茂さんが入城し、慶応2年(1866年)慶喜さんがここで15代将軍となり、翌慶応3年(1867年)大政奉還

その間はずっと平和な時代だったのですね。

 

京都観光はここだけ、大阪に向かいます。(コジカ)

 

コメントは下記を参考とさせていただきました。

世界遺産 元離宮二条城 HP

ウィキペディアWikipedia):二条城、淀城、大和郡山

大和郡山市HP:「まちかどレポート380 郡山城天守台発掘調査現地説明会に行ってきました」