2021近江遠征その2 彦根・近江牛おいしい

2021.11.07(日)

 

彦根に到着!

米原から彦根はマップアプリで約6キロ、15分位です。

今回の相棒はトヨタ・ヴィッツ

京橋口駐車場に車を止めて近江牛を探します。

 

今回は彦根城には入りません。

 

京橋口から続く、「夢京橋キャッスルロード」は賑やかです。

今回選んだのは、彦根城下町の近江牛専門料理店
「近江肉せんなり亭伽羅」さん

 

近江牛まぶし」3600円+税

秋の味覚「松茸の土瓶蒸し」に「近江牛ロースステーキ」とふっくら炊き上げた「牛しぐれ煮」のご飯が付いた贅沢な季節限定メニューです。

(メニューより)

 

「和牛フィレステーキ重」3900円+税

 

いやぁ!近江牛恐るべし!!

ランチ二人で8000円超えは贅沢ですが、おいしいです。

ごちそうさまでした。

 

 

出発前に前回チェックできなかった、キミスイロケ地へ

彦根城お堀沿いの道を行くと・・

 

見つけました「ポム・ダムール」さん

恭子(北川景子さん)が花を配達し、【僕】(小栗旬さん)を見かけるシーンを撮影したお店です。

 

ランチもケーキも美味しそうですが、今はお腹がいっぱいです。

次回の攻城時にまた来たいと思います。

 

ということで、近江牛コンプリートです。

城攻めに向かいます。(コジカ)

2021近江遠征その1 米原・駅弁の井筒屋さん

2021.11.07(日)




2021近江遠征

長崎遠征から戻って2日おいて、今度は近江遠征に出発です。

品川8:40発のひかり号で目指すは米原

 

米原到着は10:47。

今日は良い天気です。

今回は「レール&レンタカー」で新幹線と駅レンタカーでセット割。

 

レンタカー借りてさあ出発! と思ったらひつじさんがどうしても行きたいと向かったのは駅前の「駅弁の井筒屋」さん。

なんでもひつじさんがよく見ている番組

三宅智子の女子的☆駅弁紀行【第3シーズン】の第五話「琵琶湖線と湖北のおはなし」で出てきた会社さんだそうです。

#5 琵琶湖線と湖北のおはなし

琵琶湖沿岸の町・米原で130年の歴史を紡ぐ井筒屋さん。名物である「湖北のおはなし」を始め、駅そば発祥のカレーや地域の恵を一身に受けた個性豊かな駅弁を、三宅が琵琶湖線の旅と共に紹介する。

(U-NEXT番組紹介より)

 

時刻は11時半、どれも美味しそう!

ここで食べることも出来るそうです。

ですが、今日は彦根近江牛を食べる!!と決めています。

夕飯にとも思ったのですが、今日は天気も良く暑い車内に置いておくのは無理と判断。

帰りに買うことにします。

 

さあ!近江遠征スタートです。(コジカ)

 

 

 

観音寺城 日本100名城スタンプラリー第五十四回

2021.11.07(日)

観音寺城 日本100名城スタンプラリー第五十四回

今回は滋賀県近江八幡市安土町の「観音寺城」です。

六角氏の居城であった観音寺城ですが、1568年(永禄11年)将軍足利義昭上洛のため進軍してきた織田信長の猛攻に耐えられず、六角義賢・義治親子は城を捨て逃亡したそうです。

 

安土林道途中にある登山口

f:id:kog12gnyan:20220406214422j:plain

時間があればここから登って行きたかった。

 

日本100名城スタンプは、安土城分と一緒に「安土城郭資料館」でGETしました。

 

15時半過ぎに来るなんて!

観音寺城全然わかっていませんでした。

閉めようとしていた林道入り口を「せっかく遠くから来てもらったから」と通していただき、林道終点の駐車場に着いたのが15時45分。

そこから400段の石段をあがり、観音正寺を目指します。

f:id:kog12gnyan:20220406225110j:plain

何処までもつづく石段。急いで登るのは厳しい。

f:id:kog12gnyan:20220406225143j:plain

 

石段を登り切り、案内版がありました。

f:id:kog12gnyan:20220406225400j:plain

 

とりあえず拝観料500円を納めて、観音正寺

f:id:kog12gnyan:20220406225805j:plain

f:id:kog12gnyan:20220406225828j:plain

ここから先約10分で「伝本丸」なのですが、林道を閉めるのを待っていてくれています。残念ですがここで攻城は終了、撤収します。

 

観音正寺からの眺め

f:id:kog12gnyan:20220406225955j:plain

観音寺城のある繖山(観音寺山)は標高433m。標高199mの安土山に比べて断然高い山です。

 

観音正寺を参拝しただけでしたが、「観音寺城」ミッションコンプリートです。

 

長い石段を下って駐車場に戻ると16時10分。

結局30分弱の攻城でした。

この城を攻略するには、午前中、せめてお昼から始めないとダメでした。15時半からなんて論外です。

 

林道を下る途中で登山口の写真を撮り(最初の写真)、出口へ。

結局自分たちが最後の車でした。(コジカ)

 

 

安土城 日本100名城スタンプラリー第五十三回

2021.11.07(日)

安土城 日本100名城スタンプラリー第五十三回

今回は滋賀県近江八幡市安土町の「安土城」です。

 

続日本100名城の「八幡山城」から望む「安土城」と「観音寺城

f:id:kog12gnyan:20220330200112j:plain

西の湖の先、緑の濃い低い山が「安土城」、その後方の右側の高い山が「観音寺城」です。二つの城の間にJR琵琶湖線が走っています。(撮影:2021.11.08)

 

日本100名城スタンプは、JR琵琶湖線安土駅にある「安土城郭資料館」でGETしました。

f:id:kog12gnyan:20220330200133j:plain

ここでは2つの日本100名城スタンプがGETできます。

f:id:kog12gnyan:20220330221936j:plain

入館料は大人200円。移動分割式の安土城天守復元模型や安土城屏風絵陶板壁画、観音寺城ジオラマなど見どころがいっぱいです。

 

安土城は素通り!

米原駅からレンタカーで安土へ。

安土城の前を通りましたが、素通りで安土駅に来てスタンプをGET。

安土城は遠い昔に2回来たことがあるので、今回は残念ながらスタンプだけです。

 

このエリアには、100名城の「安土城」「観音寺城」、続100名城の「八幡山城」と3つの100名城が、ほんとに目と鼻の先な感じで集まっていて、戦略上重要なポイントだったと思われます。

 

で、安土城ミッションコンプリートです。

この後は「観音寺城」に向かいます。(コジカ)

 

 

牛込御門 江戸城めぐり No.004

2021.11.06 及び 2021.11.13

「牛込御門跡」(東京都千代田区富士見2丁目)

f:id:kog12gnyan:20220315123933j:plain

JR飯田橋駅エキュートエディション飯田橋」の史跡展望テラスより

外堀沿いに奥に向かって伸びるのは中央・総武線快速の線路

 

案内版より

「桝形石垣があった位置」

f:id:kog12gnyan:20220315125002j:plain

 

「桝形防御の仕組み」

f:id:kog12gnyan:20220315125139j:plain

 

古写真もありました。

f:id:kog12gnyan:20220315125325j:plain



小石川御門から牛込御門へ

kog12gnyan.hatenablog.com

小石川御門から牛込御門に向かいます。

マップアプリでは外堀内側のルートで約10分(800メートル)と出ますが、小石川御門外の「小石川後楽園」に寄り道します。

f:id:kog12gnyan:20220315213237j:plain

この頃はコロナ禍の影響か事前予約が必要でしたが、本日分の空きがあったのでスマホで予約して入園できました。でももう16時を過ぎて閉園間近なのでぐるっと駆け足で!

f:id:kog12gnyan:20220315213955j:plain

f:id:kog12gnyan:20220315214055j:plain

また今度ゆっくり来たいと思います。

 

小石川後楽園そばのスタバ「水道橋後楽森ビル店」で一休み

f:id:kog12gnyan:20220315225053j:plain

禁断の「あんバターサンド」300円を頼んでしまいました。

牛込御門に到着しましたが、途中休憩したのですっかり暗くなってしまいました。

渡櫓下の大御門跡から高麗門方向をみます。

f:id:kog12gnyan:20220315214232j:plain

調査は後日としてJRで帰ります。

 

JRのホームから見える御門の石垣

f:id:kog12gnyan:20220315214711j:plain

※石垣にピントが合いませんでした。

 

牛込御門再訪

日を改めて出直してきました。

牛込橋から御門跡を見ます。

f:id:kog12gnyan:20220315214924j:plain

左手がJR飯田橋駅エキュートエディション飯田橋

 

 

高麗門脇の石垣は結構高さがあります。

f:id:kog12gnyan:20220315221225j:plain

 

 

牛込御門は外堀の他の御門に比べて、遺構が残っていて当時をイメージしやすいです。

 

牛込御門、ミッションコンプリートです。

 

史跡展望テラスより市ヶ谷方向を見る。

f:id:kog12gnyan:20220315223532j:plain

 

またお堀端を歩き、次は「市ヶ谷御門」に向かいます。(コジカ)

 

2021長崎遠征 その5(最終回) 長崎のねこ 曲がったことが大好き

2021.11.04(木)

f:id:kog12gnyan:20220209220856j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209220910j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209220926j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209220940j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209220955j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209221015j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209221035j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209221123j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209221137j:plain

f:id:kog12gnyan:20220209221154j:plain

 

長崎遠征3日目(最終日)

今回はラウンジとすれ違いだったので、最終日の朝食はラウンジで!

f:id:kog12gnyan:20220209221309j:plain

おしゃれできれいですが、そんなに広くありません。

平日の朝だからか空いていました。

 

今朝のチョイスはこんな感じ

f:id:kog12gnyan:20220209221328j:plain

 

長崎の猫雑貨  nagasaki-no neco

 

最終日は長崎のまちに出てみました。

ひつじさんのこの旅一番の目的は長崎のしっぽが曲がった猫、通称「尾曲りねこ」なんですが、なかなか会えません。(長崎市内ではありませんが玖島城で会ったのがそれらしかった)

で、市電に乗ってやってきたのが、眼鏡橋そばの「長崎の猫雑貨 nagasaki-no neco」さん。

f:id:kog12gnyan:20220209221406j:plain

ひつじさん大興奮でおみやげ買いまくりです。

このお店でいちばんのお気に入りは、「フランシスコ ニャビエル」

f:id:kog12gnyan:20220209221425j:plain

これ、おおハマりです。

 

いちおう観光ポイントの眼鏡橋も見ました。

f:id:kog12gnyan:20220209221507j:plain

写真を撮る他の観光客の「早く渡れよ!」目線を感じるので橋は素早く渡ります。

 

眼鏡橋まわりを探索しましたが、残念ながらねこは一匹もいなくて撤収。

ひつじさんは長崎の猫雑貨さんに戻って、お土産の買い足し。

 

そのすぐ近くにあるカステラ元祖・松翁軒本店さんで家族にカステラを発送してお土産コンプリート。

f:id:kog12gnyan:20220209221533j:plain

ここ本店には「喫茶室セヴィリヤ」があるのですが、残念もう12時。13時チェックアウトなので時間がありません。

停留所・市民会館から3系統に乗って急ぎホテルへ!

f:id:kog12gnyan:20220209221557j:plain

 

ギリギリセーフでチェックアウトして、荷物を車に載せてお昼に出かけます。

ホテル駐車場の提携料金が15時までなので、持ち時間は2時間です。(追加料金払えばよいともいいますが・・・・)

で、たまたまホテル前に来たタクシーに乗って中華街へ!

 

平日のお昼だからかコロナだからか、中華街は閉まっている店も多く閑散としていましたが、お目当てのお店は営業していました。

「中国菜館 江山楼 中華街新館」さん

f:id:kog12gnyan:20220211142922j:plain

「江山楼 長崎中華街本店」さんが休業していることもあり、待ち行列ができています。もう13時半、時間を気にしながら待つこと15分でテーブルへ。

 

今回のテーマは「皿うどん

特上皿うどん(太麺)

f:id:kog12gnyan:20220209221730j:plain

 

 

特上皿うどん(細麵) ちょっと山を崩して撮影

f:id:kog12gnyan:20220209221744j:plain

両方で3960円

美味しかったです。ごちそうさまでした。

もう14時半、出島は前を通りすぎるだけ・・・・

f:id:kog12gnyan:20220209221823j:plain

 

停留所・出島から1系統に乗って長崎駅前に戻ります。

f:id:kog12gnyan:20220209221850j:plain

モダンな車両がやって来ました。

なんとか15時ギリギリに出庫して、さてどうしよう?

帰りの便は19時05分、まだ少し時間があるので夜景スポットの「稲佐山」へ行くことに。

くねくねと曲がりくねった道を行き、展望台から見下ろす長崎市街。

f:id:kog12gnyan:20220209221926j:plain

浦上川の河口の橋の脇に見える、白い横長の建物が「出島メッセ長崎」と「ヒルトン長崎」。その奥が長崎駅

 

海側の景色もきれいです。

f:id:kog12gnyan:20220209221948j:plain

長崎観光はこれで終了。時刻は15時40分、空港に向かいます。

 

レンタカーを返却して空港まで送ってもらい、空港到着は17時20分。

f:id:kog12gnyan:20220211130323j:plain

 

出発までビジネスラウンジ「アザレア」で一休み。

ここはスタバの裏手にあり、受付の方に伺うと「スタバ持込OK!」ということでスタバタイムとなりました。

 

帰りは19時05分発ANA670便、羽田到着予定は20時40分。

f:id:kog12gnyan:20220209222024j:plain

機材はA321。平日の羽田行きは混んでいました。

 

以上、長崎遠征コンプリートです。

長崎市内の「尾曲がりねこ」探索はまた次回のテーマとします。(コジカ)

2021長崎遠征 その4 世界文化遺産 原城へ!

2021.11.03(水)文化の日

f:id:kog12gnyan:20220124011000j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011015j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011029j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011043j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011058j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011111j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011129j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011141j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011154j:plain

f:id:kog12gnyan:20220124011211j:plain

 

原城へ!

島原城を15時半ごろ出発して、目指すは原城。まず、続100名城スタンプのある「有馬キリシタン遺産記念館」へ!

島原城から記念館まではマップアプリで約30km(車で40分)、実際の到着は16時11分。

日暮れとの競争ですが、記念館を予定よりじっくり見学したので、お城に着いたのは17時を過ぎてしまいました。

kog12gnyan.hatenablog.com

 

世界文化遺産

原城世界文化遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産のひとつ。

f:id:kog12gnyan:20220124011311j:plain

二ノ丸に記念碑がありました。後方は本丸です。

 

島原の乱について(個人的に印象に残ったこと)

キリシタン大名有馬氏の時代、島原など有馬領では「仏教受難の時代」であったこと。寺社は破壊され、僧侶は迫害され、いかに由緒ある仏像であろうとも炊事用の薪とされたとのこと

・有馬氏の後に来た松倉氏の圧政が一揆の原因であること。記念館の手紙をみると「使役、重税を止めてくれればキリスト教から改宗しても構わない」ともあり、キリシタン弾圧もあったが、一揆の直接の原因ではないみたい。

一揆勢に脅されて無理やり一揆に参加させられた方々がたくさんいたこと。

島原の乱鎮圧の上使となった板倉重昌さんはわずか1万5千石の大名だったこと。そのためか西国諸侯が従ってくれず、総攻撃を試みたけどやっぱり足並みが揃わず、残念ながら敵弾に斃れたこと。(三ノ丸に碑がありました)

原城は落城後、徹底的に破壊され、皆殺しとなった一揆勢2万数千(3万7千?)と共に埋められたこと。

島原の乱を引き起こしたとされる松倉勝家さんは、責任を問われ斬首刑になったこと。(大名なのに切腹も許されなかった)

島原半島南部では、一揆で領民が死に絶えてしまい、幕府は強制移民令を出し九州一円、小豆島などから移民が行われたこと。

島原の乱(1637年)は江戸時代最後の大きな内戦だったこと。それから幕末まで平和な時代が続いたこと。

 

17時を過ぎての攻城開始のため、実質30分位で早々に撤収です。街灯も無く、暗くなるとさすがにこの城ちょっと怖い。

もう一泊スケジュールして、島原城の後は雲仙の温泉に泊まり、翌日原城日野江城をじっくり見学とすべきでした。

 

原城の猫

f:id:kog12gnyan:20220124011340j:plain

撤収中に大手門跡で見かけた猫。しっぽは曲がってなかったような・・・まあここは島原ですが。結局、この遠征で見た猫はこの子と玖島城の2匹のみでした。

 

車に戻ると18時半、急ぎ長崎へ戻ります。

ナビのお勧めは来た道ではなく、半島南部を山道でショートカットして西側の海岸へ出るルート、ホテルまで約65km(90分)と出ています。

暗闇の山道を頑張って走ってホテルに戻ったのは20時過ぎ。もうラウンジのカクテルタイムとか大浴場とか言っている場合ではありません。ひつじさんが探した、駅近で遅くまでやっている居酒屋さんへ!

 

「長崎居酒屋  kazu」さん

f:id:kog12gnyan:20220124011355j:plain

ここは大当たりでした。

 

まずはビールと梅酒で乾杯

f:id:kog12gnyan:20220124011411j:plain

 

長崎県産鮮魚の5点盛り 1520円

f:id:kog12gnyan:20220124011424j:plain

 

長崎県産黒毛和牛のローストビーフサラダ 1080円

f:id:kog12gnyan:20220124011440j:plain

 

お酒を追加で焼酎を!

壱岐スーパーゴールド グラス500円

 

長崎ハトシ 550円、 手仕込みアジフライ(1枚)220円

f:id:kog12gnyan:20220124011457j:plain

揚げたてのアジフライ最高です!

 

◎〆の逸品 自家製ゴマたれ海鮮丼ミニ 600円

f:id:kog12gnyan:20220124011516j:plain

鮮魚の5点盛とキャラ被りですが、これも美味しい!

 

本当に美味しかったです。

お会計は6,660円、ごちそうさまでした。

 

長崎は路面電車の街

f:id:kog12gnyan:20220124011534j:plain

21時から22時半まで飲んでホテルに戻ります。(もう映画も間に合わないし・・)

明日はもう最終日です。(コジカ)

 

そっか! 原城は島原かっ! 

それで尾まがり猫じゃなかったんですね。なっとく。

 

島原の乱』というとキリシタンの迫害というイメージでしたが

キリシタンの暴動」と位置付けたのは噂の松倉の殿様らしいです。

どちらかというと松倉の殿様の圧政に向けた内乱だったのね。

 

そして、そのキリシタンの歴史を見ると・・・

1534年 フランシスコ・ニャビエルがイエズス会を作る。

そして宣教師たちが、日本での布教に頑張ったわけですが

この時、イギリスではヘンリー8世が世継ぎに男の子が欲しかった!

なんのこっちゃ ですよね。

ヘンリー8世は娘メアリー1世がいたけれど、男の子には恵まれなかった。

今の妻ではもう出産は出来まい。

しかし、カトリックは離婚は禁止。

愛人アン・ブーリンは結婚を要求。

ええいっ、改宗じゃっ!

というわけでヘンリー8世は1534年にカトリック教会を離脱して

イングランド国教会に改宗しました。

その後 生まれたのはエリザベス1世

ここんところは『ブーリン家の姉妹』

ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

など映画のテーマにもなっているのでイメージが沸きますねぇ。

そしてイギリスに抜けられたカトリックは非常に厳しい状況にありました。

そこで遠く日本に目を向けて 富裕層にアプローチした。

信者も増やせるし、寄付金もゲットできるもんね。

というわけで 長崎にはキリシタン大名が増えていきます。

信長もキリシタンを容認していたし、南蛮貿易も魅力だし、

秀吉も容認路線を引き継いでいたんですね。

しかし信長死後、1587年島津氏と戦いに来ていた秀吉は九州の様子を見てビックリ。

キリシタンは神社仏閣を破壊してるし、日本人を奴隷として国外に売り飛ばしてるし、

大村クンも有馬クンも領地をイエズス会に差し出してるし(*_*)

秀吉は 即、博多で『伴天連追放令』を出しました(交易や信仰は禁止ではなかった)

このままで行くと日本は伴天連に乗っ取られてしまう。

1597年には宣教師と信者26人を処刑しますが(『26聖人の殉教』)

これもスペインへの牽制だったようです。(Wikipedia東洋経済オンライン参照)

長くなりました・・・

島原の乱1637年はここから40年後。

大村の殿様は柔軟に対応して仏教に改宗。おかげで領民もお目こぼし。

(しかし、最後はキリシタンに殺された疑惑も・・・)

有馬の殿様は『岡本大八事件』で甲斐に流され切腹

その家臣は武士から百姓の身分となり、松倉の殿様に対しての内乱を主導する。

そして島原の乱がきっかけで日本は長い鎖国時代に突入します。

う~ん、島原、実に壮大な物語でありました。(ヒツジ)