二条城 日本100名城スタンプラリー第五十回

2020.02.22(土)

 

二条城 日本100名城スタンプラリー第五十回

 

前半戦の「取り」となる今回は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町の「二条城」です。

現在の正式名称は「元離宮二条城」

 

二条城とは

二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめたものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは日本史上あまりにも有名です。

世界遺産 元離宮二条城 HPより)

 

「東南隅櫓」と「東大手門」と外堀

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50個目の日本100名城スタンプは・・・・どこでGETしたのか記憶があいまいです。ネットでは「大休憩所」にあるとのことですが行った記憶がありません。

 

2020冬・関西の旅

東京の品川駅から新幹線に乗り、京都にやって来ました。

京都駅でランチを食べ、地下鉄で二条城へ

 

時刻は14時半。

 

東大手門」から入城します。

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この門は寛文2年(1662年)頃の建築と考えられているそうです。

天気はあまり良くありません。

 

「東南隅櫓」を内部から

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内側はのっぺらぼうです。

 

二の丸御殿の正門にあたる「唐門」

 

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 人が入らないように撮るのは難しいです。

 

平成25年(2013年)の修復工事により、豪華絢爛な極彩色の彫刻が往時の姿によみがえりました。

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国宝「二の丸御殿」

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御殿内部は撮影不可

 

ここに入ると失礼ながら慶喜公を身近に感じられる気がします。

歴史上の大舞台が現存しているのは凄いことです。

 

 

「二の丸御殿」は6棟からなる現存御殿建築。

他に現存する御殿は、「掛川城二の丸御殿」、「高知城本丸御殿」、「川越城本丸御殿」しかありません。(部分的に移築現存はありますが)

 

二条城の門や櫓など22棟は重要文化財です。

 

二の丸庭園と御殿

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寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸のために小堀遠州さんのもとで改修されたものだそうです。

 

本丸に向かいます。

 

本丸への入り口、「東橋」と「本丸櫓門(本丸東櫓門)」

 

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かつては二の丸御殿から本丸御殿までをつなぐ、二階建ての廊下橋となっていて、天皇が地面に降りずに本丸に渡ることができる構造だったそうです。

 

この門は本丸唯一の現存遺構で二階廊下は一部部材が保存されており、復元の計画もあるそうです。(ネットでは計画を発見できませんでしたが)

 

東橋から右手(北方向)の内堀と本丸石垣を見る

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右手奥に見えるのは「鳴子門」

 

東橋から左手(南方向)の内堀と本丸石垣を見る

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奥に見えるのは「桃山門」

 

本丸に入って「本丸櫓門」を振り返り

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櫓門がのっぺらぼうなのは、そこに通路が通っていてそれを塞いだからでしょうか。

どんな構造だったのか見てみたいです。

 

本丸の西南隅にある「天守台」にあがります。

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ここにはかつて伏見城から移されたという5重6階の天守がありましたが、寛延3年(1750年)落雷により焼失し、以後再建されていません。

この天守寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸のための城地の拡張、行幸御殿、本丸御殿の造営と合わせて移築されたものだそうです。

 

初代(創設時)の5重天守大和郡山城から移築されたと伝えられ、違う場所にあったそうです。

 

一国一城令で廃城となった伏見城天守は、もともとは淀城に移築される予定でしたが、急遽二条城に移されることになり、二条城にあった初代天守は淀城に移築されたそうです。

結果、大和郡山城の天守は二条城を経て淀城へ移築されたとなります。

 

この移築説は建築学上否定的でしたが、近年の大和郡山城の発掘調査ではその説が事実と確認されたそうです。

(その淀城の天守は図面が残っているので復元が可能とのこと)

 

天守台から見る本丸(本丸御殿は保存修理工事中)

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 もともとの本丸御殿は、天明8年(1788年)の大火の際に隅櫓などと共に消失。

現在の本丸御殿は、明治26年(1893年)京都御所の北東部にあった「桂宮御殿」を移築したもの。貴重な宮家の御殿として重要文化財に指定されています。

 

天守台から見る「西南隅櫓」と「西南土蔵」

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天守台を下りて、西側から本丸を出ます。

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 本丸を出て「西橋」から見る本丸石垣と天守

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南側から見る天守台 左奥は「西橋」

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かなり大きな天守台です。伏見城天守を移築する予定だった淀城では、このサイズで天守台を準備していたようです。しかし、初代の二条城天守大和郡山城から移築か?)を持ってきたらかなり小ぶりでスペースが余ってしまったそうです。

 

内側から見る「西南隅櫓」

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外堀の四隅にあった隅櫓のうち現存するのは「東南隅櫓」「西南隅櫓」のみ、天明8年(1788年)の大火で多くの建物が失われました。

 

東大手門へ戻ります。

 

 梅林を抜けて「南中仕切門」

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くぐって振り返り

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本丸の入り口「本丸櫓門」遠景、右手奥は「鳴子門」

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二階建ての廊下橋、どんな形なのか復元が楽しみです。

実現するといいなぁ。

 

「桃山門」

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「南門」

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この門はもとからあったものではなく、大正4年(1915年)に大正天皇の大典に備え新たに造られたもの。

 

東大手門に戻って来ました。

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ここで時刻は15時53分、二の丸御殿ご観覧の方はお急ぎくださいのアナウンスが流れます。

 

北側には回らず、外堀一周も今回は見送りました。

で、「二条城」ミッションコンプリートです。

 

徳川将軍の城、二条城ですが、年表をみると3代家光さんの後は幕末まで将軍の入城はありません。

文久3年(1863年)14代家茂さんが入城し、慶応2年(1866年)慶喜さんがここで15代将軍となり、翌慶応3年(1867年)大政奉還

その間はずっと平和な時代だったのですね。

 

京都観光はここだけ、大阪に向かいます。(コジカ)

 

コメントは下記を参考とさせていただきました。

世界遺産 元離宮二条城 HP

ウィキペディアWikipedia):二条城、淀城、大和郡山

大和郡山市HP:「まちかどレポート380 郡山城天守台発掘調査現地説明会に行ってきました」

ひつじ日記 大分の旅 その12(最終回) 府内城と大分空港

2020.02.20(木)

 

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大分の旅 4日目(最終日)

 

12時半過ぎに由布院を出て、最後の目的地「大分府内城」へ向かいます。

府内城まではマップアプリで約47キロ、46分と出ます。

 

順調に高速を走り、大分市役所横の駐車場に車を止め、

お城到着は13時45分過ぎ

攻城開始です。

kog12gnyan.hatenablog.com

現地に来て驚いたのは、天守を模した巨大な骨組みがあること!

これはなに?知らなかった!

 

これは平成29年12月27日から実施していた「大分城址公園仮想天守イルミネーション」。なんと令和2年2月14日をもって終了・・・・それ先週じゃん。

もう壊すところなんだって、残念です。

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しかも解体準備中のため、天守台を除く本丸・東之丸は立入禁止でした。

でも、いろいろと説明をしていただいた歴史展示スペースの係りの方が「今日は工事ないからゆっくり見てって!」と入城許可を出してくれました。

よかった!

どうもありがとうございました。

 

大分府内城をコンプリートして時刻は14時35分位

空港への出発時刻を15時と考えていたので、大分市内のフリータイムは残り30分弱。

もう駅の方まで行く時間はありません。

 

1カ所だけ気になっている場所へ行って見ます。

「シネマ5」さん

お城から比較的近い所に目的のミニシアターがありました。

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 こちらのシアターは74席

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少し離れたところにシネマ5bis」さん

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こちらのシアターは168席

 

映画を観る時間はないのでどちらも入り口を覗いただけでした。

大分泊まりならこんなシアターで過ごす手もありますね。

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大分空港へ

駐車場で荷物の整理をして空港に戻ります。

給油をしてレンタカーを返したのは16時12分でした。

今回の走行距離は614㎞

給油は33.61リットル

燃費は約18㎞/ℓ

 

大分空港に入って16時半、東京行きのフライトは17時55分です。

お昼はパンをひとつ食べただけだったので、食事にします。

 

やってきたのは空港ビル3F

和風レストラン 「なゝ瀬」さん 

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ここは滑走路が見えます。

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大分の旅最後の食事、まずは「とり天重」880円+税

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次は「りゅうきゅう丼(カンパチ)」 1300円+税

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そしてひつじさんが気になっていたやせうま450円+税

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やせうま」ってなんだ?

平安時代に豊後の国に身を寄せた幼君が、八瀬という乳母が作るお菓子が気に入って「やせ、うまうま」とよくせがんだことからこの名前がついたと言われています。(メニューより)

 

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こんな感じでうどんです。

食事のあと、デザートとして食べるのには量が多い感じです。

二人でシェアでもちょっとヘビーでした。

 

お腹いっぱいです。

ごちそうさまでした。

 

さあ、東京へ帰ります。

フライトは17時55分発 ANA800便

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機材はA321

東京行きは混んでいて最初は席がうんと離れていました。

旅行中席の状況をずっとチェックしていて、最終的に通路側の前後席まで寄せることが出来ました。

 

今回は国内では久しぶりに3泊4日の旅でした。

盛りだくさんな内容でしたが、大分県には攻城していない続日本100名城がまだ2つ残っています。

また、計画しないと!!

 

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ボーディングブリッジより、温泉県さんまた次回!(コジカ)

 

 

大分の旅 まとめ

 

2020.02.17(月)

大分空港へ:羽田10時05分発 ANA793

 

大分空港レンタカー:インプレッサスポーツ1600(OP:スタッドレス

 

ランチ:杵築市「きつき漁菜館」

     「鱧カツ丼」、「りゅうきゅう丼」

 

「杵築城」

 

杵築から高千穂へ

 

チェックイン:「ソレスト高千穂ホテル」

 

ホテルで夕食

 

高千穂神社:夜神楽」

 

就寝

 

 

2020.02.18(火)

 

ホテルで朝食

 

高千穂神社

 

「道の駅高千穂」(休み)

 

天岩戸神社」、「天安河原」

 

竹田市

 

途中「亀頭山城」(残念!素通り)

 

ランチ:「竹田丸福古町店」

    「ミックス定食」、「メンチカツ定食」

 

駅伝で足止め

 

「岡城」

 

別府へ

 

チェックイン:「AMANE RESORT GAHAMA terrace」

 

ホテルの夕飯

 

温泉

 

就寝

 

2020.02.19(水)

 

温泉

 

ホテルの朝食

 

温泉

 

臼杵

 

臼杵城

 

ランチ:「ポルト蔵」

    ポルト蔵ランチ」、「南蛮牛めし

 

散策:「二王座歴史の道」

 

佐伯へ

 

「佐伯城」(登山)

 

由布院

 

チェックイン:「由布院別邸 樹 ITSUKI」

 

買い出し:「マルミヤストア」(空振り)

      セブンイレブンで夕飯GET

 

温泉

 

夕飯:部屋でお弁当

 

就寝

 

2020.02.20(木)

 

温泉

 

ホテルの朝食

 

散策:「湯の坪街道」~由布院駅

 

パン工房「まきのや」:「くるみパン」、「フレンチシナモン」

 

ランチ:車内で「フレンチシナモン」

 

大分市

 

「大分府内城」

 

散策:シネマ5

 

空港へ

 

レンタカー返却:

走行距離は614㎞

給油は33.61リットル

燃費は約18㎞/ℓ

 

夕飯:和風レストラン 「なゝ瀬」

   「りゅうきゅう丼(カンパチ)」、「とり天重」、「やせうま

 

東京へ:大分空港17時55分発 ANA800便

 

 

日本100名城:「岡城」、「大分府内城」

続日本100名城:「臼杵城」、「佐伯城」

番外:「杵築城」

 

大分県残りの続日本100名城は「中津城」、「角牟礼城」

 

大分府内城 日本100名城スタンプラリー第四十九回

2020.02.20(木)

大分府内城 日本100名城スタンプラリー第四十九回

 

今回は大分県大分市「大分府内城」です。

この城の築城は、福原直高さんが秀吉さんの命を受け慶長2年(1597)に着手されたそうです。

その後、竹中重利さんに引き継がれ、本丸、二の丸(東の丸、西の丸)、北の丸、三の丸が慶長7年(1602)に完成したとのこと。

 

西之丸(二之丸)南面、内堀の様子

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手前から

「西之丸西南角二階櫓」、現存「宗門櫓」(半解体修理中)、「多門櫓門(大手門)」、東之丸西南隅櫓「着到櫓」

※現存の「宗門櫓」以外は、昭和20年(1945)大分空襲で焼失、昭和41年(1966)整備

 

日本100名城スタンプは「多門櫓門(大手門)」でGETしました。

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大分の旅 4日目(最終日)

由布院を12時半過ぎに出発して大分市にやって来ました。

大分市役所横の駐車場に車を止め、お城まではすぐです。

時刻は13時45分

 

今回の旅の最後の目的地、攻城開始です。

大手門「多聞櫓門」から入城します。

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「多聞櫓門」と「着到櫓」の間に映画「第9地区」のエイリアンのような骨組みが・・・

 

大手門「多門櫓門」、正面の石垣に鏡石が見えます。

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内堀を渡って門に至るルートはかつては「廊下橋」となっていたそうです。

 

門を入って振り返り

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門を入ったところにある「歴史展示スペース」でパンフレットをいただき、お城の説明を受けました。

 

半解体修理中の「宗門櫓」を内側から(令和2年度完成予定)

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安政地震1854年)で壊れ、安政6年(1859)に再建されたとのこと

奥に「西之丸西南角二階櫓」が見えます。

 

天守台の前で解体を待つ「大分城址公園仮想天守イルミネーション」の骨組み

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東之丸(二之丸)から撮影していますが、この位置には天守をひとつの角にした四角い天守丸」があり高石垣に囲まれていました。

その手前には「内々掘」があり、本丸と二之丸(西之丸、東之丸)を隔てていました。

 

大正8年(1919)県庁舎建設のため、本丸の石垣は破壊され、内々堀も埋められてしまったそうです。

現在は、本丸、二之丸(西之丸、東之丸)の境は無く、大きな広場となっています。

 

 

 

東之丸(二之丸)を回ります。

 

内側から見る、東之丸西南隅櫓「着到櫓」

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櫓台の天面は建物の平面より狭いみたいです。

 

 

東之丸東南隅櫓を内側から 

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この櫓も昭和41年(1966)に整備されたもの。

ただしこれは模擬櫓で資料では平櫓となっています。

 

東之丸東北隅櫓を内側から

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この櫓も昭和41年(1966)に整備されたもの。

資料上も二階櫓となっています。

 

本丸北側に入り、現存「人質櫓」を内側から

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ここは天守台の北側になります。

 

北側からみる天守

 

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この上には4層の天守がありましたが、寛保3年(1743)の大火で焼失し、再建されることはありませんでした。

 

天守台に登ります。

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天守には直接入れない作りなので階段が設置されています。

 

踊り場で天守から西につながる本丸櫓台を見ます。

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これが天守丸の北側の一辺のなごりと思われます。

いちばん端の二階櫓台まで続きます。

 

天守台から見る、東之丸(二之丸)

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本丸との境はありませんが、左から「東之丸東北隅櫓」、「東之丸東南隅櫓」

「東之丸東南隅櫓」の向かって左側に「三階櫓」があったそうです。

 

カメラを右にパンして、天守台から西之丸(二ノ丸)をみます。

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左から「多門櫓門」、「宗門櫓」、「西之丸西南角二階櫓」

本来なら天守台から「仮想天守」の方向へ天守丸の高石垣が続いていました。

 

平成25年(2013)、西之丸にあった「大分市民文化会館」が解体され空き地となっています。

 

カメラをもっと右へパンして西之丸と北之丸をつなぐ「廊下橋」を見ます。

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更に右にパンして天守台北側の現存「人質櫓」を見ます。

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天守台をおりて西之丸と山里丸(北之丸の一部)を結ぶ、「廊下橋」へ向かいます。

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桝形の石垣越しに見る「廊下橋」

 

「廊下橋」から見る「人質櫓」

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右手の天守台に続く石垣が「天守丸」北面となります。

 

お堀に沿った天守台の下に築城時に人柱となったお宮さんを祀った祠があり、毎年3月18日に法要が行われているそうです。

 

「廊下橋」を渡って振り返り

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この廊下橋は平成8年(1996)に復元されました。

山里丸(北之丸の一部)からみる「人質櫓」

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この櫓は幕末の文久元年(1861)に再建されたものだそうです。

 

帯曲輪へ出てお城の北側から東側をみます。

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逆光で見づらいですが、右から「人質櫓」、その左の角は「扇櫓台」(平櫓)、その次の角は「菱櫓台」(平櫓)、そこからまっすぐ行った突当に「水の手口跡」、右端は東之丸東北隅櫓。

かつて存在した「水の手口」は小舟で内堀を渡る緊急避難路だったそうで、寛保の大火(1743)のとき役に立ったそうです。

 

 

東之丸東北隅櫓

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東之丸東南角

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右端の石垣の張り出しが「三階櫓台」、隣が模擬櫓の「東之丸東南隅櫓」、左後方に続くのは東之丸西南隅櫓「着到櫓」

「三階櫓」は城内から見ると天守と同じ4層の櫓で天守の次に大きな櫓だったそうです。しかしこの櫓も寛保の大火(1743)で焼失し再建されませんでした。

 

これで北ノ丸から出て帯曲輪をぐるっと回って大手門に戻って来ました。

 

で、大分府内城ミッションコンプリートです。

 

西之丸にあった大分市民文化会館が解体されてフリーとなった府内城、内々掘と本丸の石垣が再建されることを期待します。

そして天守も!

 

この後は空港に戻り、東京に帰ります。(コジカ)

 

※コメントは現地で頂いたパンフレットの「府内城跡」、「府内城ウォーキングマップ」そして「府内城絵巻」を参考とさせていただきました。

 

 

ひつじ日記 大分の旅 その11 由布院散策

2020.02.20(木)

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大分の旅 4日目(最終日)

 

由布院別邸 樹」さんの朝

時刻は8時半、朝食に向かいます。

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「空木」の玄関はこんな感じ

 

フロントとレストランのある建物へ移動します。

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施設の配置はこんな感じ

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昨晩は真っ暗な中、最初に見えた駐車場P1に止めました。

フロントでチェックインすると離れは「空木」ということで、「空木」の前にある駐車場P3に移動しました。

 

朝食も完全予約制8時半の予約です。

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個室です。

 

朝食は

徹底的に由布院産にこだわり抜いたブレックファスト
朝食は、木漏れ日が差し込む庭園を眺めながら優雅な朝のひと時を…。
地元の新鮮な野菜やベーカリーの焼き立てパンなど、食卓に並ぶそのほとんどが、“メイドイン由布院”。
旅館では珍しいアメリカンブレックファースト形式は、新鮮な驚きを提供します。
由布院を随所に感じさせる料理の数々と非日常の空気を心ゆくまでご堪能ください。(公式HPより)

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とても美味しかったです。

ごちそうさまでした。

 

ロビーの様子

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10時半頃チェックアウトして由布院散策へ出かけます。

駐車場どうしようかと思っていたら、「そのまま止めておいていいですよ」

ありがとうございます。

とっても助かります。

 

「湯の坪街道」へ

近くに「湯の坪街道」という賑やかな通りがあるそうなんですが良く分かりません。

とりあえず歩いていると、他の旅行客のみなさんが同じような方向に向かっていきます。

それについていくと賑やかな通りに出ました。

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ここが「湯の坪街道」のようです。

後方は「由布岳」と思います。

 

由布院の原宿といったところでしょうか

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そのまま由布院駅へ行くと馬がいました。

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辻馬車のシャレルさんと思われます。

(1千万円をかけてベルギーから購入した2頭うちの1頭)

おとなしそうです。

 

シャレルさんと駅前通りの風景

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お馬さんの後ろのお土産屋「日乃新」さんで会社用のお土産「黄金柚子こしょう」

20個!などを買って家に送ってもらいました。

 

宿に戻ります。

途中、行きに気なっていたパン屋さんに寄ってみます。

パン工房「まきのや」さん

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「くるみパン」400円と「フレンチシナモン」180円2個をGET。

中でも食べれるのですが、甘くなくてカフェインの入っていないドリンクがないようなので持ち帰ります。

 

「フレンチシナモン」は今日中だし、ランチを探す時間もないので食べちゃいます。

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まきのやさんオリジナルのフレンチトースト!

シナモンシュガーのコーティングが甘くておいしい。

 

でも、車のなかでは食べづらい、お店で食べればよかったです。

 

ちなみに「くるみパン」は東京に帰って翌朝いただきました。

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これおいしい。

 

ごちそうさまでした。

 

もう12時半を過ぎました。

時間がありません。

 

これから大分の旅、最後の目的地「大分府内城」へ向かいます。

 

あ、ひつじさん「ロールケーキ」食べたかったんですね。

ごめんなさい・・・(コジカ)

ひつじ日記 大分の旅 その10 「佐伯城」から由布院へ

2020.02.19(水)

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大分の旅 3日目

「佐伯城」をコンプリートして、由布院の宿へ向かいます。

 

「佐伯城」から今夜の宿、由布院別邸「樹」まではマップアプリで約96キロ、1時間21分と出ます。

 

すでに17時を随分過ぎていて、遅くなりそうなので出発前に宿に電話します。

 

で、今夜のプランは「夕食なし」なので夕飯について聞いてみました。

「申し訳ありません。レストランは御予約のみで・・・・・」

残念、温泉宿ならそうですね。

一般に開放しているレストランではないみたいで当日急に言われても・・・・ですね。

(後でHPをみたらちゃんと「前日までに予約」と書いてありました)

 

とりあえず現地でなんとかなるかと出発します。

 

19時少し前に宿の近くまで来たのですが、ナビに従い脇道に入るとそこは川沿いの狭い道。

「ここ車通れるの?」

普通車でもやっと通れるくらいの狭い道、真っ暗、さらに対向車あり。

ナビ間違ってるんじゃ?と思いましたが正解でした。

 

で、なんとか19時に到着

とりあえずチェックインします。

由布院別邸  ITSUKI」さん

 

雄大由布岳の麓、由布院の街に、それぞれに趣向を凝らした十四つの離れ宿

 

とのことで案内された離れは「空木/Utsugi」

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 寝室

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リビング

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奥が寝室

 

リビングをTV側から

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電子レンジもあります。

 

トイレ

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洗面台

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洗面台の後ろの脱衣所

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内風呂

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半露天風呂

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こちらはまだお湯張り途中。

終わったら流して、朝入るときはまた汲んでお湯を張る仕組みらしい。

 

夕飯どうしよう!

温泉街のイメージとは違って、ポツンぽつんと温泉宿がある感じです。

ルームサービスも夜食のおにぎり位です。

フロントの方は食事がない事をとても心配してくれて、宿泊客でなくても入れるレストランのある宿などを紹介してくれました。

 由布院駅までは徒歩20分、駅前なら飲み屋さんもありそうですが、もう19時半なので何時迄開いているか微妙です。

 

さてどうしようか。

と、来る途中にスーパーがあったことを思い出しました。

まだ開いてるみたいなので行って見ます。

部屋に電子レンジもあったし・・・・

 

15分位歩いたでしょうか、やっと到着。

すごく寒かった!車で来ればよかったです。

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残念ながら夕飯になるようなものはなくビールとポテチとサラミ、あと朝用の十六茶を買って退散。

 

こんなとき頼りになるのはセブンです。

なんとかなりました。

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「和風ぽてとさらだ 半熟煮玉子のせ」 235円

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「冷たいまま食べる!大分名物とり天」 248円

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メインは「九州産しらすと高菜の和ぱすた」 429円

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デザートは「こんがりお餅のあったかぜんざい」 300円

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で、飲んだくれました。

ごちそうさまです。

 

今日もまた盛りだくさんでした。

大分の旅3日目、これで終了です。

おやすみなさい。(コジカ)

 

 

ひつじ日記 大分の旅 その9 臼杵から「佐伯城」へ

2020.02.19(水)

ひつじ日記 大分の旅 その9 臼杵から「佐伯(さいき)城」へ

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大分の旅 3日目

臼杵城」をコンプリートして、「佐伯城」へ向かいます。

臼杵を出たのは15時すぎ。

臼杵城」から「佐伯城」まではマップアプリで約29キロ、35分と出ます。

 

そして「佐伯城」に到着したのは15時45分位。

別府の温泉でゆっくりしたのと、臼杵で空腹に負けたことでこんな時間になりました。

 

で、忘れていましたがここは山城でした。

ちょっと見学して帰るでは済みません。

 

佐伯城は標高144メートルの八幡山(右側)に築かれた山城でした。

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とりあえず「佐伯市歴史資料館」さんでスタンプをGET!

 

時間が無いのでひつじさんには車で待っててもらい、山頂までダッシュ!と思いましたが、「私もチャレンジする!」とのことで一緒に登山です。

 

案内図によると、ここからの登山ルートは3本

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左から「翠明の道」、「登城の道」、「独歩碑の道」があります。

ひとりなら急な「登城の道」で頑張る予定でしたが、比較的なだらかそうな右側の「独歩碑の道」を選びます。

 

「善意の杖」をお借りします。

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さあ、攻城開始です!

kog12gnyan.hatenablog.com

 

 

「独歩碑の道」を行くと山頂の本丸外曲輪にある「独歩の碑」に着きます。

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国木田独歩さんはお名前しか存じませんが・・・・

Wikiによると、独歩さんは1893年明治26年)22歳の時に教師として佐伯に赴任して一年間滞在され、その佐伯滞在は後に彼の作品に大きな影響を与えることになったとのこと。

そしてこの城山がお好きで何度も登られたそうです。

 

「独歩の碑」の近くの本丸外曲輪二重櫓跡から望む、佐伯市街と海

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今日は寒かったのでコートを着たまま山頂に向かいましたが、結構きつくて汗だくです。

 

で、山から下りたらとっくに17時をまわっていました。

これから由布院の宿に向かいます。(コジカ)

佐伯城 続日本100名城スタンプラリー第三十六回

2020.02.19(水)

佐伯(さいき)城 続日本100名城スタンプラリー第三十六回

 

今回は大分県佐伯市の「佐伯(さいき)城」です。

「佐伯城」は慶長6年(1601)、佐伯へ入部した佐伯藩初代藩主・毛利高政さんが標高144メートルの八幡山に4年の歳月をかけて築いた山城です。

 

現存、「三の丸櫓門」(県有形文化財) 天保3年(1832)改築

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寛永14年(1637)三代藩主・毛利高直さんは三の丸御殿を創建し、藩政の場を山頂から麓の三の丸に移したそうです。

 

続日本100名城スタンプは、佐伯市歴史資料館」さんでGETしました。

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市営駐車場を挟んで三の丸櫓門が見えます。

 

 

 

大分の旅 3日目

臼杵を出て「佐伯城」にやって来ました。

時刻は15時45分位。

温泉でゆっくりし過ぎたのが響いて、遅くなってしまいました。

 

佐伯市歴史資料館」さんの入館は16時30分まで、なんとか間に合いスタンプをGET。でもスタンプだけいただいて、ぐるっと回っただけ。見学時間は10分くらいでした。

 

さあ、攻城です・・・が忘れていました、ここは山城でした。

山登りが必要です。

 

時刻は16時を過ぎています。

 

三の丸櫓門を内部から

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山頂のイメージ図がありました。

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山頂へは「独歩碑の道」を選択

三の丸から山頂へは3つの登山ルートがありますが、距離はあるけれど比較的なだらかな「独歩碑の道」を行きます。

 

登ります。

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確かにそんなに急ではありませんが、木の根や石がありしっかりした靴でないと歩きづらいです。

 

九合目広場まで来ました。あと少しです。

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本丸外曲輪に到着しました。

時刻は16時22分

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正面が国木田独歩さんの「独歩碑」

 

本丸外曲輪から見る「本丸石垣」

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本来、本丸の出入り口は二の丸経由の一カ所だけ。

この大階段は昭和3年(1928)、天守台に「毛利神社」を創建する時に本丸石垣を改変し、新設されたそうです。

大階段を上がると天守台(天守曲輪?)が残っています。

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ここに三重三階の天守がありましたが、元和3年(1617)の火災で焼失。

以降、再建されませんでした。(詳細は不明とのこと)

 

一旦、西の丸へ

登山ルート「翠明の道」から上がってきたものとして、撮影再開です。

 

門の跡から西の丸に入ります。

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あがって右手が二の丸方向です。

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左手の西の丸の端には二重櫓がありました。

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二の丸方向に歩いて、西の丸を振り返り

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右手奥が「二重櫓」跡、左手奥に戦争遺跡「大東亜戦争時の機関砲の銃座跡」があるそうです。(気が付きませんでした)

で、左手に登山ルート「翠明の道」からあがる門の跡。

 

向き直って見る、二の丸虎口(渡櫓と門跡)

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狭い通路で守りは堅いです。

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御殿のあった二の丸を抜け、本丸へ入る「廊下橋」跡

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ここが本丸への唯一の入り口。

当時は廊下橋となっていて、有事の際は橋を落として敵の侵入を阻止できる造りだったそうです。

 

下から見ると橋の下は堀切になっています。

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渡った先の本丸側の通路も狭い狭い。

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橋の上で右手下方をみるとここが登山ルート「登城の道」の終点

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藩政時代より続く登城路とのこと

 

本丸にあがり、本丸の入り口を本丸側から

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本当に狭いです。

 

天守台(天守曲輪?)上から見る「廊下橋」跡、その奥に二の丸

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本丸から今度は北の丸を見ます。

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手前の石垣は本丸外曲輪の櫓門跡(と思われ)、その先に登山ルート「若宮の道」へ続く「水の手門」跡、そのまた先へ北の丸は続きます。

 

北の丸へおりて「水の手門」跡を見ます。

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ここに続く登山ルート「若宮の道」には、「雌池」、「雄池」という貯水池の現存遺構があるそうです。(三の丸とは山の反対側のルートです)

※2016年9月の台風16号による豪雨で貯水池近辺で土砂崩れが発生したとの情報がありますが、復旧状況は行かなかったのでわかりません。

 

北の丸の様子

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さらに進んで北の丸の突端、二重櫓跡

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ここにも二重櫓があったそうです。

 

突端まできたので引き返します。

 

「水の手門」跡まで戻り眺める本丸石垣

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手前の石垣が本丸外曲輪「櫓門」跡(と思われ)、その向こうに本丸の高石垣。

本丸外曲輪は本丸をぐるっと取り囲んでいます。

左側遠く、柵に囲われているのが「独歩碑」。

 

駆け足でしたが、山頂部をぐるっと回りました。

時刻は16時45分、山頂滞在時間は20分ほどでした。

 

「独歩碑の道」をおりて三の丸に戻ります。

 

そして麓に着いたら、17時を過ぎていました。

昭和45年(1970)に三の丸から市内に移築された、「住吉御殿」(旧三の丸御殿の玄関・広間部分)もまた今度です。

 

で、「佐伯城」ミッションコンプリートです。

 

これから由布院の宿に向かいます。(コジカ)

 

※コメントは現地でいただいた、「城山散策マップ」を参考とさせていただきました。ただし、注記に「市史などから考察し作成しております。想定の箇所もありますこと、ご了承ください」とありました。ご了承ください。