虎ノ御門 江戸城めぐり No.009

2021.10.09(土)

2021.11.23(火)

「虎ノ御門跡」(東京都千代田区霞が関3丁目)

虎ノ御門は虎ノ門交差点から少し離れた、文部科学省(旧文部省)の旧庁舎(茶色い建物)の前辺り、国道1号線上にありました。

撮影場所が1号線を横切る形の外堀の中で、横断歩道のあたりが桝形の後ろの線にあたるようです。

下の古写真と似たようなアングルで撮ってみました。

 

虎ノ門「旧江戸城写真帖」(東京国立博物館)より

「史跡江戸城外堀跡地下展示室」(地下鉄銀座線「虎ノ門駅」新庁舎連絡通路内)に写真がありました。

 

赤坂御門から虎ノ御門へ

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赤坂御門から坂を下って振り返り

奥に見える歩道橋の先が赤坂御門です。

 

下って左、溜池方向へ

真っ直ぐは国道246号線、青山・渋谷方向

 

曲って外堀通りを進みます。

ここから先は大きな溜池があり、外堀代わりとなっていました。

 

日枝神社に寄ってみます。

ここから入ると「稲荷参道の千本鳥居」を上がっていくのですが、千本鳥居は撮影スポットなので、撮影タイミング待ちの方々の「早く通って!」視線を感じて写真も撮らずに急ぎ足。

 

本殿の様子

七五三のお祝いでか、お子さんがたくさん来ていました。

 

表参道からの景色、神門

左手のご家族はプロのカメラマンを頼んで撮影されていました。すごく絵になっていたのでモデルさんによるPR撮影なのかと思ったくらいです。

 

外堀通りにもどります。

 

外堀通り六本木通りの交差点の安全地帯に溜池発祥の碑があります。

溜池発祥の碑
 溜池は江戸時代のはじめ、江戸城の防備をかねた外堀兼用の上水源として作られ水道の発祥地ともなり、徳川秀忠時代には 鯉、鮒を放し蓮を植えて上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となった。徳川家光は遊泳したとも伝えられ、江戸後期には日枝神社より赤坂四丁目に通じる料金を取った銭取橋が架設され「麦とろ家」数軒と出店で、にぎわったと云われる。
 明治八年より埋め立てに着手し四十四年に完成したが、明治二十一年十二月には赤坂溜池町が創立され、明治四十二年に市電が開通し、大正十年五月に 正式な町会として溜池町会が発足し、溜池角の小松ビルは元は演伎座と云う芝居館として人気を煽り東京オリンピック以後はビル街として発展し、町会名も「赤坂溜池町会」と改称し今日に到り、地下鉄新駅「溜池山王駅」の開通を記念し建立とした。(赤坂溜池町会・文責) 平成九年八月吉日 東京都港区

 

外堀を兼ねた溜池の水は「溜池落口」から外堀に流れていました。その溜池落口から虎ノ御門までの現状との比較図が「史跡江戸城外堀跡地下展示室」にあります。

※以降の引用はこの展示室の説明板からいただいています。

写真左下の点線〇の「溜池落口」から右上の「虎ノ門」までの間にかつての外堀に沿って4つの見どころがあります。

下から

④櫓台跡の石垣

③旧教育会館の石垣

②地下鉄部の石垣

①中庭部の石垣

 

最初に「溜池落口」

古写真がありました。

溜池落口『大日本全国名所一覧』(平凡社)より
江戸城外堀南方の堀には堰を設けて築いた溜池があった。ここは江戸初期の上水源でもあり、かつてはこの堰から滝のように水が流れていたが、今は埋め立てられている。

その現状(撮影2022.07.23)

「④櫓台跡の石垣」そばの歩道橋から溜池方向を振り返り。赤いまるの位置辺りが溜池落口と推定

④櫓台跡の石垣

かつての外堀は外堀通りを斜めに横切る形で虎ノ御門に続いていました。

④櫓台跡の石垣
櫓とは要所を見張るための建物をいい、江戸城外堀では唯一ここだけに櫓があった。この地域が江戸城を防備するうえで重要な地であったことを示している。現在も国史跡として保存されている。

 

現地の説明板の記載

溜池櫓台跡 (Tameike Tower Base Remains)
 溜池櫓台跡は、江戸城外堀に3つ設けられた隅櫓のうちの1つです。江戸城隅櫓はいずれも主要な道に面した場所につくられていました。残る2つの隅櫓は、筋違門と浅草門に所在していましたが、どちらも取り壊されており、唯一この石垣だけが現存しています。ただしこの櫓台も、以前は西側に溜池落口の櫓がもう1つあり、一対だったようです。
 一対の溜池櫓台は、1636年(寛永13年)に因幡鳥取藩(現在の鳥取県)藩主池田光仲によって構築されたという記録が残っています。かつて、この地点は近世初期には外桜田門を起点とする小田原道が通り、溜池上水の起点にもなるなど、江戸城の防備と都市政策の両方にとって重要な地域でした。地形の上でも、この地域は西側に広がっていた溜池一帯を見下ろすことができる位置にありました。
 溜池及び周辺の堀は明治時代に埋められましたが、近隣の文部科学省構内には3カ所の石垣が残っており、かつての外堀の姿をしのぶことができます。

The Tameike Tower base remains are from one of three corner towers built along Edo Castle's outer moat.Edo Castle's corner towers were all built in locations facing major roads.The other two corner towers were at Sujikai-mon and Asakusa-mon Gates,but both have been torn down, with these being the only remaining corner tower stone blocks. It seems, however, that this was only one of a pair of tower bases, and that in the past there was another tower on the west side at Tameike Ochikuchi.
Surviving records show that Ikeda Mitsunaka, the feudal lord of the Inaba Tottori Domain(current-day Tottori Prefecture), built the pair of Tmameike Tower bases in 1636. This area was once imporant for both the defence of Edo Castle and urban development, the pond being a source for the Tmameike Waterworks, and by the fact that Odawara Road, which started at Soto-Sakurada-mon(Outer Sakurada Gate), passed through this spot in the early modern period. The lay of the land gave this spot a good view over the reservoir("tameike") which stretched westward.
 In the Meiji Period, the reservoir and nearby moats were filled in, but stone blocks remain in three locations on the grounds of neighboring Ministry Education,  Culture, Sports, Science and Technology, giving a glimpse of the outer moat in its past form.

(説明板より)

 

③旧教育会館の石垣

③旧教育会館の石垣
延長9.5mで2段の石垣である。この石垣は、江戸時代のものではないが、石垣下には旧来の石垣が残り、史跡指定されている。この地点は、池田長常が石垣を築いた場所である。

 

②地下鉄部の石垣

②地下鉄部の石垣
延長25m、15段程度(高さ約7.4m)の石垣で、ほぼ築城当時の高さを残している。この地点は、北端をのぞき毛利高直の築いた場所に該当する。この石垣は江戸城外堀跡鍛冶橋北側の堀石垣(丸の内一丁目遺跡)から出土した石を利用して修復した。

「史跡江戸城外堀跡地下展示室」(地下鉄銀座線「虎ノ門駅」新庁舎連絡通路内)はここの地下です。

展示室から見上げる石垣

この展示室と旧庁舎中庭石垣では、外堀の堀底および推定される水面の高さを表示し、正面の石垣は水面からそびえる石垣の姿を再現しました。

 

①中庭部の石垣

①中庭部の石垣
延長約35m、7段(高さ4.5m)の石垣が残っている。この地点は九鬼久隆の築いた地点と多くの大名によって築かれた場所に該当する。現地に公開中である。

外堀はこの石垣のすぐ先で右に折れ虎ノ御門へ続きます。右側の文部科学省(旧文部省)の旧庁舎はほぼ旧外堀の中に建っています。

 

旧庁舎中庭を出て、国道1号線の虎ノ御門跡を見る。

比較図によるとここから右手に桝形門が位置し、横断歩道のラインが桝形の後ろの線だったようです。正面のビルは外堀の中に建っていて、この外堀ラインが「幸橋御門」(新橋方面)へ向かっています。

 

虎ノ御門跡から城外を見る。

 

虎ノ御門は跡形もありませんが、今でもここは交通の要所であり、江戸城を守る重要なポイントだったと思われます。

 

で、「虎ノ御門」、ミッションコンプリートです。

次回は「幸橋御門」へ向かいます。(コジカ)

 

 

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