赤坂御門 江戸城めぐり No.008

2021.11.14(日)

「赤坂御門跡」(東京都千代田区紀尾井町1)

城外から見る赤坂御門跡。左側に桝形石垣の一部が残ります。(246号線に架かる歩道橋より)

 

赤坂門跡
 赤坂門は1636年(寛永13年)に、筑前福岡藩(現在の福岡県)の藩主である黒田忠之により築造されました。門の名称は、外側の赤坂を監視することから名づけられました。この門は脇往還のひとつ矢倉沢往還大山街道)の出発点となっており、大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)や大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)を参詣する江戸の人々で賑わいました。櫓などの建築部分は1871年明治4年)に撤去され、石垣も明治30年代に撤去されました。
 赤坂見附から牛込橋にいたる堀や土手の遺構は、1956年(昭和31年)3月26日に、江戸城外堀跡として国指定史跡に、文化財指定されています。

 

 Akasaka-mon Gate was constructed by Kuroda Tadayuki, the feudal lord of the Fukuoka Domain, Chikuzen Province (current-day Fukuoka Prefecture) in 1636.The gate is so named because it kept watch over Akasaka (Red Hill) outside Edo Castle.
 This gate was the starting point for the Yakurazawa Highway (Oyama Highway), one of the Waki-okan (connecting highways), and thronged with visitors from Edo to Oyama Afuri Shrine (Isehara City, Kanagawa Prefecture) and Daiyuzan Saijoji Temple (Minamiashigara City, Kanagawa Prefecture).The towers and other structures were demolished in 1871, and the stone walls were also demolished in the period from the late 1890s until around 1906.
 The remains of the embankment and moat stretching from Akasaka Mitsuke to Ushigomebashi Bridge were designated as a cultural property and as a National Historic Site, Edo Castle Outer Moat Ruins, on March 26, 1956.

(説明板より)

 

喰違御門から赤坂御門へ

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喰違御門を出て左に曲がり、弁慶濠沿いを下ります。

門を出た所は首都高4号新宿線が地下から出てくるポイントです。左側の白い建物はホテルニューオータニのガーデンタワー、彦根井伊家中屋敷の跡地です。

 

弁慶濠が見えてきました。

首都高は高架となって赤坂御門に向かいます。

 

弁慶橋から来た方向を振り返り

釣り堀や貸しボートがあります。弁慶橋は江戸時代は無かった橋です。

 

弁慶橋から城内側が紀尾井町の「紀」、紀州徳川家中屋敷の跡地

現在は東京ガーデンテラス紀尾井町となっています。

 

弁慶橋から見る、弁慶濠と赤坂御門跡

首都高が赤坂御門に吸い込まれて行きます。

 

アップで見ると、赤坂御門の下がトンネルの入口となっています。

 

弁慶橋から坂道をあがり赤坂御門跡へ

歩道橋があってちょっと分かりづらいですが、次の古写真と同じようなアングルです。

 

説明板に古写真がありました。

渡櫓はすでにありません。

 

赤坂御門の石垣

 

説明板の江戸時代との比較図

残っているのはほんの一部です。

 

桝形内部より城外を見る

桝形の大きさがイメージできます。

 

赤坂御門跡からみる弁慶濠(撮影2021.10.29)

濠にかかる弁慶橋はもともとはなかったものです。

 

で、赤坂御門、ミッションコンプリートです。

 

赤坂御門跡から見る城外、国道246号線、青山・渋谷方面

次回はこの坂を下って左手に向かい、溜池から「虎ノ御門」へ向かいます。(コジカ)

 

 

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