2024.01.08(月)成人の日
「芝口御門跡」(東京都中央区銀座八-八・九・十付近)
十五年で消えてしまった城門。
芝口橋(新橋)から芝口御門跡を見る。左手のビルは「銀座博品館」。その前一帯が門の枡形であったと推測。上を走るのは「東京高速道路」。橋の下を流れていた汐留川は埋め立てられています。
芝口御門の碑。二重の隅櫓を伴う、立派な門だったようです。
芝口御門跡
所在地 中央区銀座八-八・九・十付近
ここの南方、高速道路の下には、もと汐留川が流れ、中央通り(旧東海道)には、昭和三十九年まで新橋が架かっていました。
宝永七年(1710)、朝鮮の聘使(へいし)の来朝に備えて、新井白石の建策にもとづきわが国の威光をを堅持するため、この新橋の北詰に、現に外桜田門に見られるような城門が建築されて、芝口御門と呼ばれ、新橋は芝口橋と改称されました。
城門は橋の北詰を石垣で囲って枡形とし、橋のたもとの冠木門から枡形に入って右に曲がると、渡櫓があって堅固な門扉が設けられていました。しかし、この芝口御門は建築後十五年目の享保九年(1724)正月に焼失して以来、再建されず、石垣も撤去され、芝口橋は新橋の旧称に復しました。
幸橋御門から芝口御門へ
新橋に「あん餅雑煮」を食べに来て、せっかくなので芝口御門を調査します。
幸橋御門跡
左手の第一ホテルはお堀の上で、その前が幸橋、その奥が幸橋御門の位置と推測。
右手の鉄道高架はお堀の上に造られ、山下御門(有楽町方向へ)続きます。また、右手に流れていく水は土橋に向かい、汐留川となります。
お堀の上に造られた鉄道高架。
手前が新橋方向、奥が有楽町方向。山手線、京浜東北線、東海道線が走ります。
高架の下をくぐって土橋へ向かいます。
「幸橋架道橋」の標識。
幸橋御門の説明はありませんが、「幸橋」の表記がありました。
高架をくぐって左が土橋。その左手に東京高速道路への侵入口。
「土橋入口」
土橋の表記がありました。
お堀(汐留川)の流れを追っていきます。
汐留川(高速道路)を右手に御門通りを進みます。
芝口御門跡到着
ここは銀座八丁目。左の建物が博品館。
芝口橋(新橋)からみる御門跡
遺構は特にありません。
芝口橋(新橋)の脇には、港区の文化財「新橋の親柱」
新橋親柱は、かつて新橋と銀座の間を流れていた汐留川に架けられていた橋で、昭和三十八年(1963)、川の埋め立て工事とともになくなりました。現存する新橋親柱は、大正十四年(1925)に、長さ二十m、幅二十七mの鉄筋コンクリートで作られた橋の一部です。地域名の由来を今に残す貴重な遺構です。
平成三十年(2018)一月十五日 港区文化財総合目録登録 港区教育委員会(標柱説明より)
御門通りをさらに海側に進むと芝口御門の碑があります。
ひっそりとあるので見落としそうです。
近づいてみるとこんな感じ
さらに御門通りを進むと碑の絵にあった、隅櫓があったと思われる角に着きました。
右の奥に続く道路が「三十間堀」跡。堀はその右横のブロックを含めた広さがあったようです。
御門跡から見る芝口橋(新橋)、城外方向
国道15号線が続いていきます。
御門跡から見る城内
銀座中央通り(15号線)は歩行者天国中。
以上、芝口御門ミッションコンプリートです。(コジカ)