2022.08.27(土)
「戦国時代が終わるきっかけとなった小さな山城」(パンフレット名胡桃城址より)
名胡桃城・二郭(にのくるわ)
二郭南虎口(にのくるわみなみこぐち)脇の土塁上からの景色
共に豊臣秀吉さん配下の北条氏と真田氏はこの地方の領有権争いをしていました。そこで裁定が下され、沼田城は北条氏、名胡桃城は真田氏となりました。ところが北条方の家臣が名胡桃城を占拠するという「名胡桃城事件」が発生! 北条側は城の引き渡しを拒否、怒った秀吉さんが小田原征伐を開始、北条氏滅亡へとつながった・・という話のようです。
この名胡桃城は天正7年(1579年)武田勝頼さんの名を受け、この地に進攻した真田昌幸さんが築いたとのこと。
続100名城スタンプは「名胡桃城址案内所」でゲットしました。
名胡桃城へ!
都内から車で出て、関越自動車道・月夜野ICで降りて(食事をして)、名胡桃城にやって来ました。駐車場に車を停めるとそこに案内板を発見。
般若郭復元想像図(現地案内板より)
駐車場は般若郭(名胡桃館跡)でした。ここが築城前に名胡桃氏の居館があった場所のようです。復元図では般若郭の向こうに二郭、その左奥に本郭が見え、般若郭がいちばん広いように思います。※般若郭の写真は撮り損ねました。
名胡桃城中心部へ
三郭虎口
虎口から三郭に入ります。
三郭から見る、二郭南虎口(にのくるわみなみこぐち)
二郭へ入ります。
この虎口は「食い違い」構造となっています。
橋から見る三郭と二郭を隔てる堀切
奥の土塁の先は般若郭です。
二郭土塁上から見る、三郭
二郭北虎口脇の土塁上から振り返ってみる二郭
二郭北虎口
二郭から本郭へ向かいます。
北虎口を土塁上から
こちらも食い違いでしょうか。案内板の復元想像図ではこの土塁上には物見櫓のようなものが描かれています。
本郭へ渡る木橋
橋の左右は深い本郭堀切となっています。
名胡桃城本郭
本郭の先にあるささ郭へ向かいます。
ここも木橋が架かっていたようです。
ささ郭突端の案内板
案内板の先は下っていてこの先には行けません。
この案内板の辺りが搦め手門でしょうか。
ささ郭先端からの景色。
明徳寺城址がどれかわかりません。沼田城址も右端辺りかもっと右かもしれません。
ここで雨が落ちてきたので、撤収します。
傘がなく、激しく降ってきたため般若郭(駐車場)の調査はあきらめました。
ということで、名胡桃城、ミッションコンプリートです。(コジカ)