八幡山城 続日本100名城スタンプラリー第四十五回

2021.11.08(月)

日本100名城スタンプラリー第四十五回、今回は滋賀県近江八幡市八幡山城です。

 

wikiによると豊臣秀次さんは1585年(天正13年)に近江八幡を与えられるとすぐ近くの安土城から建物、城下町を引っ越して来て八幡山城を築きました。秀次さんは5年ほどで居城を清州城へ移し、八幡山城には京極高次さん氏が入城しました。

けれども後継者争いのためか1595年(文禄4年)、秀次さんは切腹となり、秀吉さんは秀次さんに関連する八幡山城聚楽第とともに破却。結局、八幡山城はたった10年で廃城となったとのこと。

 

八幡山城遠景

 

山城部分の様子

正面に西の丸の石垣、頂上の屋根は本丸跡の瑞龍寺、左側に北の丸の石垣。

 

江戸時代の面影を残す八幡堀

琵琶湖の水を引いた八幡堀は運河の役割も担っていたそうです。

 

八幡山ロープウェイに乗って、山頂の城郭へ向かいます。

 

続日本100名城スタンプは八幡山ロープウェイの山頂駅「八幡城址駅」でGETしました。

 

本丸の石垣

山城部分は総石垣作りで本丸・二の丸・北の丸・西の丸・出丸で構成されています。

 

本丸虎口

現在は瑞龍寺の門が建っています。

 

本丸は京都から移された「村雲御所瑞龍寺門跡」となっています。

 

本丸を取り巻く帯曲輪をまわり北の丸へ

北の丸付近の本丸石垣

 

北の丸からの景色

西の湖の先、緑の濃い低い山が「安土城」、その後方の右側の高い山が「観音寺城

2つの100名城はすぐそばです。

 

帯曲輪を更にまわり、西の丸へ

西の丸から見る琵琶湖

湖畔の緑の小山は「水茎岡山城(すいけいおかやまじょう)」。左遠方の高い山が「比叡山

永正5年(1508年)、室町幕府の11代征夷大将軍足利義澄さんが都落ちをして入ったのがこの水茎岡山城で、後の12代将軍・足利義晴さんはここで誕生したそうです。

 

西の丸から帯曲輪をまわって二の丸のロープウェイ駅に戻ります。

西の丸から先に出丸があるのですが、気付きませんでした。

 

帰りのロープウェイから見下ろす城下町

行きも帰りもロープウェイで楽しちゃいました。

 

山麓の居館部分に秀次居館跡がありますが、それはまた次回に

で、八幡山城ミッションコンプリートです。(コジカ)