2022.07.30(土)
ここは長篠の戦で敗れた武田勝頼さんが新しい本拠地として築城した城です。しかし、織田軍の進軍により、勝頼さん自ら火をかけ落城しました。
新府城を捨て、岩殿城へ向かった勝頼さんは途中謀反にあい、自害してこの世を去りました。
新府城本丸跡
標柱には
・築城起工 天正九年 二月十五日
・入城 天正九年十二月廿四日
・落城 天正十年 三月 三日(勝頼の在城六十八日間)
と記されています。
続日本100名城スタンプは韮崎市民俗資料館でGETしました。
新府城へ!
天気の良い土曜日、車を出して東京都内から山梨県に向かいます。
出発が遅かったので、談合坂SAでもう14時。ここでお昼にします。
やって来たのは「伝説のすた丼屋」さん
「すた丼」860円
ひつじさんは「ミニすた丼」760円
にんにく効いてます。ごちそうさまでした。
談合坂SAを出て、14時45分。スタンプのある韮崎市民俗資料館は16時30分まで、先を急ぎます。
15時45分、韮崎市民俗資料館到着。スタンプをGETして、少し離れた新府城へ。
16時15分、駐車場に到着。いつもながらの遅い時間ですが、まだ日は十分高いです。
駐車場に「出構(でがまえ)」の説明板。
新府城跡出構(でがまえ)
出構は城の外郭(がいかく)の一部を長方形に堀の中に突出させた大型の土盛(どもり)構造である。東西に約百十メートルへだてて平行に二本(東出構、西出構)が築かれている。城の裾に沿って掘られた堀は幅約七メートル、深さ約二・五メートルの断面逆台形をした箱堀(はこぼり)で、その外側には湿地帯が広がり、深い堀と湿地帯を含め防御施設となっている。出構は新府城のみに見られる施設で、鉄砲陣地とも堀の水位を調整するためのダム的な施設ともいわれるが、その機能は解明されていない。
「東出構」
草がのびのびなので、その形状や堀の深さがよくわかりません。この先の「乾門」から入るべきかと思いますが、道筋や足元も怪しいのでこのルート今回は断念。
勝頼公を祀る藤武神社への階段を上り、直接本丸へ。
長い階段です。
まだまだ続きます。
藤武神社到着です。
ふーっ、汗だくです。
本丸に「想定復元図」がありました。
登ってきた反対側は「七里岩」(国登録記念物)の断崖で守られているようです。
本丸の様子。
かなり広いです。奥の小屋はトイレ。
本丸の一画では調査が行われています。
本丸からの景色
本丸のカエル
どこかに水場があるのでしょうか。
本丸を出て二の丸へ向かいます。
新府城二の丸
二の丸から西三の丸・東三の丸の下を回って大手門へ向かいます。どちらの三の丸も草がのびのびで中に入るのは見送ります。
大手門(城内側より)
丸馬出し
大手門の外はこの丸馬出しでガードされています。この先は崖になっていて、崖下には三日月堀が掘られています。
丸馬出しから望む富士山
少し待ちましたが、雲がどいてくれません。
振り返って、丸馬出しから見る大手門
整備されていて、形状がよくわかります。
本丸に戻り、長い階段を下りて駐車場に戻って来ました。
この道は歩道が無く、車の流れも速いので危険です。右手のお堀の向こうの道を通るべきでした。
時刻は17時30分。
新府城、ミッションコンプリートです。
次回は冬に来たいです。ここをまっすぐ行って乾門から上がったり、三の丸に入ったり、反対側に回って七里岩を見たいと思います。
中央自動車道で東京に帰ります。
途中、談合坂SA上りのスタバで一休み(19時19分)
あとは都内迄ノンストップ!(コジカ)