2020.02.19(水)
弘治2年(1556)、臼杵城はキリシタン大名として有名な大友義鎮(よししげ)/宗麟(そうりん)さんによって築かれたそうです。
ここは臼杵湾に浮かぶ小島、丹生嶋(にゅうじま)で、北・東・南の三方が海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟という天然の要害でした。
城は戦国時代、江戸時代と移り変わり、明治維新となり廃城となりましたが明治10年(1877)には西南戦争で籠城戦の舞台となったそうです。
城の西側(干潟だった側)から見る、丹生嶋に築かれた臼杵城
築城当時からの登城路「古橋口」
右端が現存「畳櫓」、中央に二の丸の玄関となる模擬復元「大門櫓」、左の東屋の辺りが「時鐘櫓跡」
続日本100名城スタンプは、「臼杵市観光交流プラザ」さんでGETしました。
お城は右後方です。
大分の旅 3日目
別府の温泉宿を出て、臼杵城にやってきました。
天気は上々です。
時刻は12時45分、ちょっと温泉でのんびりし過ぎました。
古橋口から登城します。
「古橋門櫓跡」の石垣とその右に「亭櫓跡」の石垣
鐙(あぶみ)坂を上ります。
海岸の岸壁ですね。
鐙坂はUターンとなり「中門」へ向かいます。
このルートは岩を掘り切って造った狭い道です。
現存する「畳櫓」
天保年間に再築されたという「重箱造り」の二重櫓です。
「中門跡」から見る、二の丸の玄関となる「大門櫓」(平成12年模擬復元)
鐙坂を登って鳥居のところが「中門跡」、写真右側の「畳櫓」(写っているのは影だけ)の前で登城路はUターンします。
「大門櫓」を入って左手、二の丸北側の「会所櫓跡」から連なる石垣
広大な二の丸を抜けて、本丸入り口の「鉄門(くろがねもん)跡」
本丸入り口の両脇は空堀になっています。
右手(南側)をみる。
正面の石垣は「武具櫓跡」
左手(北側)をみる。
天守台が見えます。
大正時代に上部を4mほど壊されてしまったそうで、もともとは7mの高さがあったそうです。
天守は3重4階だったらしいです。明治の廃城時に壊されてしまったとのこと。
本丸南側、海に降りる「卯寅口(うとのくち)」を見下ろす。
現存の「卯寅口門脇櫓」が見えます。
本丸の東端、「亀首(かめくび)櫓跡」
本丸「亀首櫓跡」脇から望む臼杵湾
臼杵湾に浮かぶ島だったはずが、海は遠くなっています。
おにぎりのような島は「津久見島」でしょうか。
「卯寅口(うとのくち)」に降りてみます。
現存「「卯寅口(うとのくち)門脇櫓」
これも重箱造りで、嘉永年間に再築されたものだそうです。
「卯寅口(うとのくち)」から城外へ
振り返ってみる「卯寅口門跡」「卯寅口門脇櫓」
船で海へ出る「卯寅口」、今立っている場所は既に海の中だったのかも・・・・
島の南側、かつては海だった場所を歩いて「古橋口」に戻って来ました。
まだ、「今橋(いまはし)口」をはじめとする島の北側を見ていませんが、今回はここまで!
臼杵城、ミッションコンプリートです。
市内をちょっと観光してから、次は「佐伯城」へ向かいます。(コジカ)
※コメントは臼杵城のパンフレットを参考にさせていただきました。