古くからの正しい日本語

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面白いこといいますよね、志賀直哉 先生!

そんなに昔の人ではありません。 亡くなったのは1971年。

戦後の昭和21年4月、雑誌『改造』に「國語問題」という小文(3200字)を発表しています。




私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集源氏物語もその言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。

若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。

國語を改革する必要は皆認めてゐるところで、最近その研究會が出來、私は發起人になつたが、今までの國語を殘し、それを作り變へて完全なものにするといふ事には私は悲觀的である。自分にいい案がないからさう思ふのかも知れないが、兔に角この事には甚だ悲觀的である。不徹底なものしか出來ないと思ふ。名案があるのだらうか。よく知らずに云ふのは無責任のやうだが、私はそれに餘り期待を持つ事は出來ない。

そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、國語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前に森有禮が考へた事を今こそ實現してはどんなものであらう。不徹底な改革よりもこれは間違ひのない事である。森有禮の時代には實現は困難であつたらうが、今ならば、實現出來ない事ではない。反對の意見も色々あると思ふ。今の國語を完全なものに造りかへる事が出來ればそれに越した事はないが、それが出來ないとすれば、過去に執着せず、現在の我々の感情を捨てて、百年に百年後の子孫の爲めに、思ひ切つた事をする時だと思ふ。

外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、賢明であると思ふのである。

国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が出來た時に小學一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。


文中の森有禮 というのはさらに60年前に英語を国語にしてはどうかと主張した初代の文部大臣です。

えーっ、文部大臣も日本語廃止論かよっ! ですよね。


はなしことばは統一されていなくても、書きことばは平安時代からありました。

意外と最近まで はなしことば と 書きことば は 別物だったのです。

で、いわゆる知識人が文章を書くときは漢文調の文語体なので、

本音を言うと 「キミたちに文章は書けるのかね?」 なんていうことなんだろうと思います。

それで、志賀直哉が宮城の石巻の生まれってのが、なんとなくフランス語につながりそうじゃないですか?

え? だって九州の人より 東北の人の方が フランスの発音に近いでしょ? (気のせい?)


その後の日本語改革の大きな転機は

 昭和48年6月18日 「当用漢字改定音訓表」の内閣告示。

 昭和56年10月1日 「常用漢字表」の内閣告示。

のふたつだと思います。

漢字を制限して識字率を高めることで 日本語は生き残ったのかもしれません。

もしかして、英語やフランス語にはならなくてもハングルのように表音文字だけに

なっていた可能性もあったわけで でも、それって、なんか寂しくないですか?


ハングルが1446年に公布されたときの李氏朝鮮第四代国王である世宗のおことばはコレです。


訳文:わが国の語音は中国とは異なり、漢字と噛み合ってないので、
   
   愚かな民たちは言いたいことがあっても書き表せずに終わることが多い。

   予(世宗)はそれを哀れに思い、新たに28文字を制定した。
 
   人々が簡単に学習でき、また日々の用に便利なようにさせることを願ってのことである。


エライひとたちに 「愚かな民」 って言われるのって なんかイヤな感じ。。。

ビビビのビーっ!! (ヒツジ)