河後森(かごもり)城 続日本100名城スタンプラリー第五十七回

2023.02.22(水)

今回は愛媛県北宇和郡松野町の「河後森城」です。

河後森城遠景

広見川の向こうに松野町、その後方に河後森城。

中央の伐採・整備されているところが本郭(ほんかく)です。

 

城山の向こう側の「風呂ヶ谷駐車場」に向かいます。

 

河後森城のあらまし

 戦乱の時代、伊予(愛媛)と土佐(高知)の国境の要所として築かれた中世山城跡です。

 その規模は愛媛県内最大級。広見川、鰯川、堀切川の3本の川に囲まれた独立丘陵上にあり、城域は20ヘクタール以上。本郭(ほんかく)を中心に大小様々な曲輪(平坦地)が馬蹄のようなU字型に広がっています。石垣の上に築かれた江戸時代以降の城と違って、中世の城は土づくりの城。元々の地形を利用して、岩盤を削り、土を盛って、城としての防御性を高めているのが最大の特徴です。

(『河後森城 山城登城マップ 予土国境最前線の山城』より抜粋)

 

「風呂ヶ谷駐車場」

ここに車を止めて、馬蹄形の中心部「風呂ヶ谷」に向かいます。

 

現地の「山城登城ハイキングマップ 河後森城」

「風呂ヶ谷」を囲うような馬蹄形の山城です。左側の「西第十曲輪」からぐるっと尾根上の曲輪を回ろうと思います。

 

 

「風呂ヶ谷」

 

馬蹄形の左端の「西第十曲輪」に向かいます。

続日本100名城スタンプは「西第十曲輪」にあり、第一チェックポイントです。

 

「西第十曲輪」に向かう登り

つづら折りの登りはけっこうきつい!

 

途中、見下ろす井戸

今でも枯れていません。

 

「西第十曲輪」の門跡

再現された門は倒れて(倒して?)メンテナンス中(だったような)

※最近のネット写真では門があります

 

「西第十曲輪」

手前が倒れている門(?)  ※記憶が曖昧です

 

再現された「掘立柱建物」

 

続日本100名城スタンプはここでGETしました。

 

建物の半分は厩と想定しています。

ここまで登ってくるのは大変ですね。

 

西第九~第八~第七曲輪へのルートを見る

木の階段は使用禁止になっていました。西第九曲輪へは代わりの脚立が!!・・ここは脚立を使わなくても何とか登れましたが、西第九から第八を横目に直接第七へ上る階段が使えないのは厳しい。結構角度があって、ひつじさんは相当苦労しました。

 

「西第七曲輪」に上がって振り返り見下ろす「西第十曲輪」

緑の植え込みの所が門跡(倒れている門はその陰にあった?)

遠くに見える平坦地は「新城」と思われます。

 

「西第七曲輪」からさらに上の曲輪をみる

手前の「西第六曲輪」の右脇を進んでいきますが、途中黄色いリボン(?)で道が塞がれている感じになっています。

ここで通行止め?かとも思いましたが、行けそうなので「本郭」を目指します。

 

「西第四曲輪」~「西第三曲輪」の脇を上がります。

高い位置に見えているのが「西第二曲輪」

 

「西第三曲輪」と「西第二曲輪」の間の堀切

「堀切を保護するため盛り土をしており、本来の幅と深さは表現できていない」そうです。

 

「西第二曲輪」から見る「本郭」

「西第二曲輪」と「本郭」の間に本郭を囲う石垣の一部が残っているのが見えます。

 

本郭石垣の様子

ここは本郭の虎口のようです。

 

「本郭」の様子

 

本郭

 本郭は、河後森城で最も高所にあります。発掘調査で多くの建物や門の他、城主の居所である主殿舎と台所が見つかっています。当時、城主が家臣や住民と飲食を共にする儀式が執り行われており、主殿舎がその舞台でした。また、大量の瓦も出土しており、1600年前後には石垣を備えた天守が存在したと考えられています。尚、その天守が現在の宇和島城に移築されたという伝承も残っています。

 本郭からの眺めは素晴らしく、山城登城ハイキングのゴールとして格好のスポットになっています。

(『河後森城 山城登城マップ 予土国境最前線の山城』より)

 

本郭からの眺め

手前が松野町、その先に流れる広見川。最初の「河後森城遠景」の写真を撮影したのは、写真中央奥の橋の近くです。

 

主殿舎の柱と床が再現されています。

 

馬蹄形の内側「風呂ヶ谷」方向を見る

中央奥に見えるの平坦地が「新城」と思われます。

 

「本郭」南斜面の登城道を降りる途中で振り返り

東側の曲輪に向かって下りていきます。

 

「東第三曲輪」に下りて来て「東第二曲輪」、「本郭」を振り返り

「東第二曲輪」の右側に町へ下りる「下山ルート」があったみたいです。

 

進んで「東第四曲輪」

「東第四曲輪」の先の堀切に再現された門、そのまた先に「古城第二曲輪」が続きます。

 

堀切に再現された門

堀切の左側が「東第四曲輪」、右側が「古城第二曲輪」

 

「古城」

古城

 古城にも番小屋や櫓があり、曲輪の端には板塀を使った石打棚という防御施設があったことが分かっています。西側の堀切は城内最大級で、道としても利用されていました。また、城外への見通しも良く、広見川流域や支城を眺められます。

(『河後森城 山城登城マップ 予土国境最前線の山城』より)

 

「新城」はまた今度

「古城」から出て左に10分行けば「新城」とのことですが、今回ここまでにします。「新城」はまた今度!

 

「風呂ヶ谷」に戻ります。

細い道を下りていきます。

 

下りて来て振り返り

最初にこんなとこ登るの大変だ!と思った道を下って来たのでした。

 

「風呂ヶ谷」に戻って来ました。

駐車場に着いてスタートしたのが13時半、ぐるっと回ってきて今は14時20分過ぎ。「新城」は省略しましたが、駆け足で約1時間の攻城でした。山城登城ハイキングコースは結構きつかったです。

 

で、「河後森城」ミッションコンプリートです。(コジカ)