洲本城 続日本100名城スタンプラリー第二十五回

2019.07.13(土)

洲本城 続日本100名城スタンプラリー第二十五回

今回は、淡路島 兵庫県洲本市洲本城です。

山の「上の城」の本丸から望む、大阪湾

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続100名城スタンプは、「下の城」跡に建つ、洲本市立淡路文化史料館でGETしました。

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水軍の城「洲本城」

洲本城は約130メートルの三熊山に築かれた、水軍の城。

1526年(大永6年) 熊野水軍の頭領である安宅氏の安宅治興さんによって築かれ、その後、羽柴秀吉さんの配下となった洲本城、水軍の城として増強されます。

そして総石垣の城となったのが脇坂安治さんの時、1585年(天正13年)から1609年(慶長14年)。

江戸時代となり、脇坂安治さんが伊予大洲へ転封となると姫路城主池田氏が淡路島を治め、由良城に本拠を移し、洲本城は使われなくなります。

しかし、1615年(元和元年)、淡路国は阿波徳島藩主である 蜂須賀氏の時代となり、蜂須賀家家老の由良城代、稲田氏は1631年から1635年にかけて由良城を廃し、洲本城に再び本拠を移しました。

その後、山の「上の城」は不要とされ、麓の居館部分が「洲本城」として整備されました。(パンフレットやWEBガイドによる)

 

徳島、淡路をぐーるぐる!

徳島、淡路遠征2日目、今日は淡路島の洲本城に向かいます。

あいにくの雨模様。

MAPアプリでは、徳島駅前から洲本城まで神戸淡路鳴門自動車道を経由して約1時間。

お城に着いたのは11時半過ぎです。

下の城跡に建つ洲本市立淡路文化史料館」でスタンプをGETしたあと、ときおり小雨がぱらつく中、「下の城」周辺を散策します。

 この一帯は石垣で囲われた曲輪となっています。

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後方の山頂に「上の城」の模擬天守が見えます。

 

そして、近くの本八幡神社」境内には「金天閣」が移築され残っています。

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洲本市のHPによると寛永18年(1641年)に徳島藩蜂須賀忠英(ただてる)が、三熊山山麓の洲本城内に建てた洲本御殿の一部です。洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、この玄関と書院だけが移築され残りました」とのこと。

 

車に戻り、上の城へ向かいます。

上の城は山城ですが、車で上まで上がれるようになっています。

 

車を止めて、本丸迄すぐです。

(下の方の駐車場に止めてしまいましたが、一番上まで行けば本当にすぐ近くです)

 

大手門跡

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石垣を右手に南の丸、本丸方面へ進みます。

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ずっと行くと南の丸南東部の石垣に突き当たります。

 

南の丸南東部の石垣

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正面が南の丸隅櫓跡です。

ここを右折すると本丸はあとちょっとです。

 

本丸への登り口「本丸大石段」

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本丸の入り口「本丸虎口」に到着

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こちらは南側の虎口です。

 

天守台に建つ「模擬天守

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これは1928年(昭和3年)に昭和天皇御大典(昭和天皇即位式)記念として 鉄筋コンクリート製で建てられたもの。江戸時代の天守を復元したものではありませんが、模擬天守としては日本最古となるそうです。

昔来たときは、展望台として上まで上がれたのですが、今は階段が取り外され上がることが出来ません。

 

本丸小天守台から「東の丸」方面を眺める

 

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 森になっている辺りが東の丸(とおもわれ)。今回は時間がなく見学できませんでした。

 

本丸「搦手虎口」を本丸内部から

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こちらは北側の虎口になります。

 

搦手虎口の外側を本丸石垣の上から

 

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本丸搦手虎口を外側から

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正面の斜めにはまっている大きな石は鏡石(かがみいし)

これは「敵兵を威圧し、本丸を守るための石。鏡は邪悪なものを退ける力がある」というものだそうです。

 

本丸からみて東南の位置にある日月の池(じつげつのいけ)」と井戸

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この向こう側は大手門となっています。

 

と、ここまで来たところで、雨が本格的になってきました。

また、13時となってしまい次の予定があるので攻城はここまで。

東の丸、西の丸、南の丸はまた今度。

 

「登り石垣」

縄張りに関して、上の城と下の城を東西2条の「登り石垣」で繋いで防御力を高めているのがこの城の最大のポイントで、この全国でも数例しかない珍しい遺構が続100名城選定の評価ポイントにもなったそうです。

そんなポイントなのに時間がなく見学できませんでした。

それがどんなものかというと、階段状の石垣が山の上まで繋がっているそうです。

 

でも、「洲本城WEBガイド」によると

西の登り石垣
登り石垣は、西と東の二箇所存在している。この登り石垣は、全国でもわずか三箇所しか残っていないため、貴重なものである。しかし、保存状態はあまりよくない上に、草木が生い茂っており、ハチやヘビのほか、崩落の危険がある場所でもあるために、現地に確認に行くのであればしっかりとした長靴、長袖の装備で行くことをお勧めする。また、三熊山登山道を歩いて登るといくらか確認することもできるので、どうしても見たい、という場合はそちらをお勧めする。

さらに東に関しては

東の登り石垣
登り石垣は、西と東の二箇所存在している。この登り石垣は、全国でもわずか三箇所しか残っていないため、貴重なものである。しかし、保存状態はあまりよくない上に、草木が生い茂っており、ハチやヘビのほか、東の登り石垣は特に崩落の危険が高いので、実際に見に行くのはお勧めしない。安易に見学に行くと、大怪我する可能性もある場所だということを付け加えておく。

ということだそうです。

ちょっとみてくる!という感じではダメだったようです。

 

ということで洲本城、ミッションコンプリートです。

今日はこれからお昼を探し、その後は鳴門に向かいます。(コジカ)