2019.05.27(月)
続日本100名城スタンプラリー第十九回
今回は、島根県浜田市の浜田城です。
浜田開府四〇〇年記念「浜田城ペーパークラフト」
くっついていますが、左から「其の2」(二ノ丸部分)と「其の1」(本丸部分)
各1000円(浜田護国神社社務所で販売していました。ネットでも買えるようです)
お城の構造が良く分かる模型です。
続100名城スタンプは、「浜田護国神社社務所 」さんでゲットしました。
浜田開府四〇〇年
元和5年(1619年)、吉田重治さんが三重の松坂藩から浜田に転封になり、浜田藩5万4千石が成立。(パンフレットより)
そして今年が2019年ということで、浜田開府四〇〇年!
いろいろな行事があるようです。
浜田城
浜田城は、標高67mの丘陵上に築かれた平山城で、「亀山城」とも呼ばれていました。(パンフレットより)
鉄道だと早朝には萩7:38発で2時間8分で行ける山陰本線があるのですが、それを逃すと8:24発で2時間38分かかり、次の9:43発だと6時間30分かかり午前中に着きません。
レンタカーにして正解でした。
それでも10時に萩を出て、浜田城に着いたのは13時前。途中休憩やお城の入り口を探してうろうろして遅くなりました。帰りの飛行機は17:45発、あまり時間がありません。
長州が攻めてきたら、城に火を放って逃げてしまったお殿様
スタンプを押していると、ボランティアのガイドの方にお会いしました。
何かボランティアの方々の行事があったようですが、ガイドをしていただけることになりました。
その方によると、(若いころの)お城のイメージは、「長州が攻めてきたときに、城に火を放ってお殿様は逃げてしまった」とのことです。
浜田城は「長州藩に対する山陰側の押さえの最前線」だったそうですが、慶応2年(1866年)第二次幕長戦争で大村益次郎さん率いる長州軍に負けてしまい、再興を期して自焼退却。
因みにその時のお殿様、松平武聡さんは一橋慶喜さんの実弟だそうです。
長州は強かったんですね。
谷間にある「中ノ門」跡を城内側より。
ここに大きな渡櫓門がありました。(民家が迫っています)
昭和42年(1967年)に移された、浜田県庁正門。
これはもともと津和野城から移築されたものだそうです。
お城の主要部へ向かいます。
「二ノ門」跡を内部より見る。
本丸に到着!
ガイドの方は、ここで戻られました。
ガイドさん、本丸まで一緒に上がっていただき、ありがとうございました。
本丸から眺める、日本海
「松原浦」と右奥の「外ノ浦」を望む。
外ノ浦は北前船の風待ち港として有名とのこと。
本丸・天守(三重櫓)跡
左奥に三重の天守がありました。
ボランティアの方によると、天守は長州から逃げた時に焼けてしまったのではなく、明治に入ってから地震か何かの原因で倒壊してしまったとのこと。
最近、崖下から鬼瓦が出土したそうです。
で、浜田城ミッションコンプリートです。
急いで回りましたが、もうすぐ14時。
遅いお昼をさがしてから、急ぎ萩・石見空港に戻ります。(コジカ)