2019.05.19(日)攻城
2020.11.07(土)スタンプ
品川台場 続日本100名城スタンプラリー第四十三回
今回は東京都港区台場の「品川台場」です。
嘉永6年(1853年)、M.C.ペリーさん率いる「黒船」が浦賀に来航、江戸幕府に開国を迫りました。
この対応に苦慮した幕府が計画したのが、品川から深川まで海上に11カ所の台場(砲台)を数珠のように配置することでした。
レインボーブリッジのそばに残る「第6台場」 (2020年末撮影)
「第6台場」は閉鎖管理となっており、上陸することは出来ません。
手前の細長い島は旧防波堤「鳥の島」
続100名城スタンプは「お台場海浜公園案内所」でGETしました。
案内所はこの「マリンハウス」の1階。後方に見えるのが「第3台場」
※スタンプGETは(2020.11.07)
お台場へ
品川台場の攻城は2019年5月でしたが、その時は一人だったのでひつじさんとスタンプをGETしに来ました。
残っているのは「第3台場」、「第6台場」のみ
2019年5月攻城
まずは台場地区側からレインボーブリッジを歩いて渡り、上から台場を見ます。
手前が「第3台場」、奥が「第6台場」
築造計画の結果
第1・2・3台場は安政元年(1854年)4月に竣工。
第5・6台場は同年11月に竣工。
第4・7台場は途中で工事を中止したが、第4台場のみ工事を再開し、文久3年(1863年)に竣工。
第8台場以降は未着手のまま計画は中止。
追加で計画された陸続きの「御殿山下台場」は、安政元年(1854年)末に竣工。
結果として7つの台場が完成したそうです。
短期間で海上に人工島を造れるとは!
当時の土木技術はすごかったのですね。
台場公園として公開されている「第3台場」
今は埋立地である台場地区と陸続きになっています。
写真右端は船着き場。
ちなみに後方の球体がのる建物が「フジテレビ」
その右側の高いビルが「ホテル・グランドニッコー東京台場」
そのまた右手前の幅広なたてものが「ホテル・ヒルトン東京お台場」
少しアップで
もう少し橋を登って
完成したこの第3台場で異国船の警備を担当したのは、忍藩だったそうです。
さらに進んで「第6台場」に近づきます。
当時は写真左後方に「第2台場」
正面後方、対岸の品川埠頭の場所に「第1台場」「第5台場」
その後方の天王洲の場所に「第4台場」
さらにその後方に「御殿山下台場」
と続いていました。
「第6台場」の船着き場
品川台場の内、人工島として当時の姿を唯一残しています。
対岸まで渡ることが出来ますが、今日はここで引き返して「第3台場」に向かいます。
「第3台場」の石垣
五稜郭や龍岡城と同じ様に、石垣上部に「刎ね出し(武者返し)」がついています。
広大な人工島です。
「第3台場」から見る「第6台場」
一年後に再びやってきたペリーさん、いきなり現れた台場群を見てきっとびっくりしたことでしょう。
以上、品川台場ミッションコンプリートです。(コジカ)
品川台場の現状
第1台場:1962年(昭和37年)以降、埋立地の一部として「品川埠頭」に埋没
第2台場:1961年(昭和36年)航行の妨げとなるため撤去
第3台場:1928年(昭和3年)公園として開放
第4台場:1939年(昭和14年)埋立地「天王洲」の一部となり消滅
第5台場:1962年(昭和37年)以降、埋立地の一部として「品川埠頭」に埋没
第6台場:閉鎖管理にて残存
第7台場:1965年(昭和40年)未完成の状態で残存していたが撤去
御殿山下台場:明治時代に埋め立てられ大半の敷地が小学校となる
夜のお台場(2020年末撮影)
コメントは
「~国指定史跡~品川台場」東京都教育庁作成POST CARD
サイト「tabiyori」:「お台場=砲台?!意外と知らない品川台場の歴史と成り立ちについて」
を参考とさせていただきました。